鎌倉の海に、鰹と言ふ魚は、かの境ひには、さうなきものにて、この比もてなすものなり。それも、鎌倉の年寄の申し侍りしは、「この魚、己れら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づる事侍らざりき。頭は、下部も食はず、切りて捨て侍りしものなり」と申しき。 かやうの物も、世の末になれば、上ざままでも入りたつわざにこそ侍れ。 徒然草 第百十九段 カツオなんてねえという話であるが 最近で言えばあけびとかカラス貝とかがそのようなものだろう むかしは捨てていたものだ

鎌倉の海に、鰹と言ふ魚は、かの境ひには、さうなきものにて、この比もてなすものなり。それも、鎌倉の年寄の申し侍りしは、「この魚、己れら若かりし世までは、はかばかしき人の前へ出づる事侍らざりき。頭は、下部も食はず、切りて捨て侍りしものなり」と申しき。
かやうの物も、世の末になれば、上ざままでも入りたつわざにこそ侍れ。
徒然草 第百十九段
カツオなんてねえという話であるが
最近で言えばあけびとかカラス貝とかがそのようなものだろう
むかしは捨てていたものだ