嘘と言えばとんでもなく悪いことのようだけれど
嘘と言わないまでも
事実の再構成をして、意味づけを変更していることはある
人間は客観的な記録装置でもないし再生装置でもないから
少しずれる
そのずれはなぜか自分の都合のいい方に傾くことが多い
反対なのは被害妄想だけれど
この場合は自分に都合の悪い方に傾く
その人に寄り添って考えた場合、
まあ、その程度の再解釈は嘘にも当たらないなと
思うことはある
よほど強い人でない限り
自分の都合のいいように
自分勝手に
生きていて
それでやっと生き延びられるということも少なくないと思う
こんな甘いことをいっていては
東京ではアウトだと思うけれども
いろいろな人のいろいろな立場も
分からないでもないということだ
それそれに理由がある
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相手の立場に立つということは
相手がなぜ嘘をついたかとか
なぜ裏切ったかとか
そのことも含めて
理解できて同情できるということだ
これは正義の観点とは全く違う
正義ではないが理解はできる
私の宗教的立場はそんなところだ