世の中には何一つとしてあてにできるようなものはない。愚かな人は、何かをやたらとあてにするから、腹を立てたり恨んだりするのである。
例えば、権力者もあてにはできない。強い者から先に倒れるからである。金持ちもあてにはできない。金はあっという間に無くなるからである。頭のいい人も あてにはできない。孔子でさえも不遇だったからである。立派な人もあてにはできない。顔回(がんかい)でさえも不幸だったからである。主君のひいきもあて にはできない。一瞬にして罪を被(こうむ)り殺されるからである。家来もあてにはできない。裏切って逃げることがあるからである。人の好意もあてにはでき ない。人の気持ちは変わるものだからである。約束もあてにはできない。約束が守られることは少ないからである。
自分であろうと他人であろうと一切をあてにしないことだ。そうすれば、うまくいったときに喜ぶことはあっても、うまくいかないときに腹の立つことはなく なる。
心の幅を広く持てば何も邪魔には感じないし、心の奥行きを深く持てばすぐに行き詰まることもない。逆に、心が狭いとすぐに他人と衝突して傷ついてしま う。
だから、心の働きが足りず余裕のない人は、何もかも気にくわず、争い事を起こしては傷つくことになるが、逆に、心が寛大で柔軟な人は、決して傷つくこと がないのである。
人間は天地が生み出した神秘的な存在である。その天地に際限がないのだから、人間の心に際限が無くて何の不思議があろう。そして、心が広大で際限がない なら、喜怒哀楽の情にわずらわされることもなく、他人のために苦しみ悩むこともなくなるのである。(徒然草・第211段)
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万の事は頼むべからず*。愚かなる人は、深く物を頼む故に、恨み、怒る事あり。勢ひありとて、頼むべからず。こはき者先づ滅ぶ*。財多しとて、頼むべからず。時の間に失ひ易し。才ありとて、頼むべからず。孔子も時に遇はず*。徳ありとて、頼むべからず。顔回も不幸なりき*。君の寵をも頼むべからず。誅を受くる事速かなり*。奴従へりとて、頼むべからず。背き走る事あり。人の志をも頼むべからず。必ず変ず。約をも頼むべからず。信ある事少し。
身をも人をも頼まざれば、是なる時は喜び、非なる時は恨みず*。左右広ければ、障らず、前後遠ければ、塞がらず。狭き時は拉げ砕く*。心を用ゐる事少しきにして厳しき時は、物に逆ひ、争ひて破る。緩くして柔かなる時は、一毛も損せず。
人は天地の霊なり*。天地は限る所なし*。人の性、何ぞ異ならん。寛大にして極まらざる時は、喜怒これに障らずして、物のために煩はず*。