やる気の本体

やる気がでない

意欲がわかない
などという
昔はやる気・意欲の本体はリビドーであるとずばり言われた
しかしそれでは少し、という意見もあって、リビドーの意味そのものが拡張されて
子供にも教えられるものになった
リビドーをせき止めて、昇華を狙い、なにか有益なことをする立派な人間になってほしいと教育設計者は考えたらしい
肉食系である
学校教育はそのような設計だろう
草食系はどうもリビドーそのものが枯れているらしい
物欲は好奇心とか所有欲とかコレクション癖とか、いろいろなものと関係するような気がする
金銭欲に関しては、金銭そのものに好奇心がわくはずもないし、なにかもっとピンポイントな欲望のような気がするけれど、
よく分からないところもある
女性の、きれいになりたい欲望につけこんで、化粧品を売り、自分の金銭欲を満たしたり、
その人の所有欲を狙って、高級自動車を売りつけたり、
高級自動車にはこの保険とかいったり
社会では欲望が連鎖する
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金銭欲を考えてみると分かるのだが
金銭は生活そのものだし物欲そのものだろうが
一方で抽象的な未来の保証であるとか、なんとなくの安心感であったりするのだろう
欲望の次元で言うと金銭欲は具体的な物欲という次元と
もう一つ上の、それらを可能にする力という次元とがあると思う
一種抽象的な力の欲望で
そんなものは下等な動物にはないものなのだと思う
猿などで観察すると
これはあの欲望の変形なのだなと観察されるものもあると思う
人間の場合はその変形が極端になっている
そのような抽象的な力への欲望の根底には
具体的な物欲とか権力欲とかがあって
その根底にあるものがリビドーだろうということになる
マズローの説がわかりやすいし
子供にも説明しやすいのでよく使われる
それはそれでいいのだけれど
やはりリビドーを一時せき止めて、ヤル気を出させるというのは、実際有効なような気がする
いまではもう高校生位になるとリビドーを処理する方法を知ってしまうので
高校生はヤル気がない
小学高学年とか中学生くらいが
リビドーは高まっているが方法をよく知らないという段階で
このあたりは学校教育でヤル気に転換できる
というわけで教育はこのあたりが熱くなっているわけだ
小学校のお受験が熱いのは親のリビドーだろうと思う
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昔は初潮を迎えたあたりで初めて妊娠し
以後妊娠と出産を繰り返すものだったろう
とても自然である
近代の不自然さはどうしたことかと思うが
そのことが社会全般の広範なエネルギーになっていたはずである
リビドー満足を少しだけ先延ばしにすれば
ずいぶんいろいろなことができるのだ
現代になるとその不自然さを制度として残したままで
制度をすり抜けてリビドーは満足されてしまっているので
社会の活力につながらない
そこのギャップが草食系と比喩されているのだろう
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全体にやる気のない人が増えていることは確かだと思う