「インテリというのは限られた枠内を超え出たところで何かやることによって生まれるのであって、
国家が決めたた枠内でしかできないというのではインテリは生まれない。」
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昔は日本の学者はたこつぼの中に生きていると批判されたものだ
しかし現代に至り、
専門家はその専門領域を学び続けるだけで結構大変である
他のことに意見をいうほどの余裕はない
また口出ししても、たいていは見当違いで滑稽なだけである
たとえばSTAP騒ぎでの有名知識人の意見で分かる
専門外のことまで判断するのはなかなか難しい
そのことがはっきりわかったのは原発事故の後だった
マスコミに登場する専門家はみなその知識で生活をしている人であり
その場所で権力者のご機嫌を損ねると、これまでの苦労が水の泡となるらしい
一個人や一市民としての誠実な判断を提出しているのではなく
経済生活をかけた仕事なのだった
その知識人たちは鳩山兄弟、麻生、安倍などのように
誰からも給料をもらわなくても生きていける種族ではないかもしれない
資産の成長が所得の増加よりも大きいので資産家は安泰であると現代の資本論は言うらしい
そのたびに微妙に定義の不安定な専門用語や概念が繰り出され
一般人を煙に巻いている
健全な民主主義社会が仮定している理想的市民とは
理性と倫理を備え(キリスト教社会では当然ここに信仰が入る)
健全な判断をしてゆく主体であるが
現代に至り、原発でも、国際情勢でも、環境問題でも、専門家の意見を判断することは難しく、
したがって、権力側が専門家集団による諮問委員会に意見を聞くという場合、
誰を呼ぶか呼ばないかで結論はだいたい決まっている
専門知識が、一般市民を政治から遠ざけていると言っていいだろう
それでも、政治家が投票して国会で何かを決めているのは
大変に奇妙な図である
彼らは原発や環境や経済や国際関係について何を考えたというのだろうか
政治家が一般市民の健全な常識を代表していると思う人は
おそらく国民に一人もいないだろう
それでもやはり、国民が投票によって選んだ議員であるという不思議さ
STAP騒ぎで学者知識人はまったくもって不誠実な人たちだとの印象を持ったとの意見も多い
すべてを忘れさせるためなのかどうか
ますます心理的衝撃の大きな事件が連発している