世の中のために自分を活かし、働かせるという生き方はよいのだが その根底には弱者への共感がある場合があり それが一番強いのは若くて、弱者というものが抽象的なうちだろうと思う 弱者が具体的な人間として多数例現れると、当然いろいろな側面があるはずで、 人々を愛するとか、隣人愛を実践するのは困難になるだろう したがって、若い頃に選択した、人々に奉仕する生き方は、中年くらいになって苦しくなることがある しかしまたそれを過ぎて高齢者となると、どの道を進んでいても、大した違いもないと平穏でいられるようになる 弱者の

世の中のために自分を活かし、働かせるという生き方はよいのだが
その根底には弱者への共感がある場合があり
それが一番強いのは若くて、弱者というものが抽象的なうちだろうと思う
弱者が具体的な人間として多数例現れると、当然いろいろな側面があるはずで、
人々を愛するとか、隣人愛を実践するのは困難になるだろう

したがって、若い頃に選択した、人々に奉仕する生き方は、中年くらいになって苦しくなることがある
しかしまたそれを過ぎて高齢者となると、どの道を進んでいても、大した違いもないと平穏でいられるようになる

弱者の現実がどうであっても、自分は神との関係で、隣人愛を実践するのだという決心の場合には、
また違うかもしれない

文学、宗教、倫理への感性が高い場合には
若いころの抽象的な弱者への共感をもとに一生を決める場合があり、
その場合には中年あたりで危機が訪れるケースもありますという話
何もなければそれに越したことはない