"忍耐が習慣化した人は
忍耐をやめられない
ここらへんで、少し休んでもいいのではないですか
と提案すると、
私がいなくなるとみんなが大変なことになる、だから休むなんてできないと語る
その背景には、自分の忍耐が周囲の人々を支えていて、
この忍耐をやめると大変な事態になるという確信があるようだ
そのくらいの確信がなければ、その人の忍耐にはたいして意味が無いわけだ
そのように信じているからこそ、忍耐を続けることができる
忍耐をやめることは、これまでの忍耐の意味付けが虚妄であったことの証明になってしまうおそれがある
全ては昔の話だ
いまはこんな忍耐をする人もいないだろうと思う"