それ自体が目標を持って動き、部分を活用する組織体ということで言えば
国家もそうだといえるし、グローバル企業もそうだといえる
グローバル大企業が生命の主体となり
個々の人間は部品化する
それらの集合体としての地球は、ガイアという言い方で表される時のように
それもまた生命の一つと考えられることもある
いままでは
個人→国家→世界
という階層構造だったものが
個人→グローバル企業→世界
となっても別に構わないのだろう
たてまえとしては個人が主権者でありその集合体として国家があるのだけれども、
実感としては、圧倒的に、「国家に支配される個人」である。
自民党の憲法草案はその感覚をよく表現してくれていると思う。
それは世界基準では憲法とは呼ばないものだと思うが、
日本的最高法規ということだ
しかしグローバル企業が国家を超えて機能し、
個人を支配するとき
国家は無力化されてゆくだろう
国家の基礎となる民族という概念も無力化されてゆくだろう