「男と女」考 女は解決を求めていない、男は指図されるのが嫌いである 男女は脳の構造など生物学的にも異なる点が多い。別種の生物と考えても良いくらいである。 社会的、精神的な面から見ると同じ事象に対しても男女の反応は全く違っていることが多い。 これは子供の頃からの男女をとりまく社会的環境 (同性同士で遊ぶ、男女それぞれが親に期待される行動パターンに規定されやすい) によることが多い。 男の子にとっては他の男子より自分が強い、他の子が知らないことを多く知っている、ことが大事で、 女の子にとっては他の女子

採録

"「男と女」考

女は解決を求めていない、男は指図されるのが嫌いである
男女は脳の構造など生物学的にも異なる点が多い。別種の生物と考えても良いくらいである。
社会的、精神的な面から見ると同じ事象に対しても男女の反応は全く違っていることが多い。
これは子供の頃からの男女をとりまく社会的環境
(同性同士で遊ぶ、男女それぞれが親に期待される行動パターンに規定されやすい)
によることが多い。
男の子にとっては他の男子より自分が強い、他の子が知らないことを多く知っている、ことが大事で、
女の子にとっては他の女子とどれぐらい親しいか、
どれぐらい「同じである」か、お互いに(他の子達がしらない)秘密を共有しているか、が関心事である。
男の子の間では手下にして命令する、というのが罰で、女の子の間では仲間はずれにする、のが罰である。
女が親しい人(たとえば夫)に自分を苦しめている問題について語るとき、
彼女は実は解決を求めていない。
彼女が求めているのは
「そうだね、私もそういう経験ある」「ほんと、そうだね、そういう気持ちになるのは無理ないよ」「僕も同じ経験をした」
という共感の言葉であり、
私一人が違うのでなく、あなたも私も同じように感じる仲間なのだ、という同一性、親密さの確認なのだ。
それが彼女にとって前向きになれる力となるのである。
ところが男の反応はたいていこうである。
「あ、そんなこと、気にすることないよ」「そんな風に感じるのが良くないんだよ、こう考えてごらん」
「じゃあ、こうすればいいじゃん」「ぼくだったらそんなに落ち込まないで、こうするね」
これらはお説教というもので、彼女の気持ちに共感している、という部分が全く感じられない。
共感を求めている彼女には全く不満な反応である。
説教されると、「それは君が悪いんだよ」と言われているのと一緒で、
「君が悪いんじゃないんだよ」という言葉を求めている女性にとっては最悪である。
助けを求めているのにはしごをはずされたようなもので、
「えっ、なんでそんなこと言うの」と混乱し、頭にきて、
男性の「教えてくれた」(女性の期待していない)解決方法に素直に従う気になどならないのである。
男は女のぐち(問題の提示)に対して、解決方法を求められたと勘違いし、
それを「教えてやって」いるのに、彼女がまったく感謝しないのみならず、
せっかく提案した解決方法を否定するか、無視するので頭にくるのである。
教えたがりの男と説教されるのが嫌いな女はこうしてすれちがってしまい、
その上二人の間にはなんでこんなに気分が悪いのかさっぱりわからない、という状況が残るのである。
女性が男性に本当に解決方法を求めるときは、まったく違ったアプローチの仕方をするので、それはすぐわかる。
「これはどうしたらいいかな?」など女性から直接の質問がないかぎりは、
女性の問題に対して男性がいきなり解決方法を示すのは正しい反応ではないのだ。
女性にとってはパートナーと話す、こと自体が意味がある。
男性にとっては話しの内容が大事で、大事な話がないのなら1週間全然妻としゃべらなくても平気である。
女性はそれには耐えきれない。
男性にとっては大事でない、彼があったこともない人が、こんな話をした、と身振り手振り、言葉もそのままその人の口調で
まさに実況中継である。
男性はこんな実況はしない。
彼の言った内容(何かを提案して断られた、など話の結果)をしゃべるだけである。
男性にとっては女性がなぜそんなつまらない話を大げさに身振りを交えてしゃべるのかは理解できない。
「なんでそんなしょうもないこと聞かせるの?だいいちその話3回目だよ」となってしまう。
男性は女性がしゃべる内容だけに興味があるので
知らない人がどんな口調でしゃべったなど無関心である。
女性の話す中味が興味がなければ、だまって聞いているか、テレビの方を見ているか、まるで女性の話を聞いていないようである。
実は聞いていないことも多い。
女性はつまらない話でも、興味なくても、本当はテレビを見ていても、ふんふん、と相づちをうちながら、聞いて欲しいのである。
それはあなたのことを気にしているよ、というメッセージであり、女性はこのメッセージを日に何度でも聞きたい生物なのである。
だから大抵の女性は聞き上手である。
あ~そう、本当?なるほど、と話をもり立てるのが実に上手である。
でもこれは聞いてあげている、だけで本当は男性の話に全く賛成していなくて
あとで「何だ最初から反対だったのだ」とがっかりさせられることも多い。
これはよく引用されるエピソードなのだが、
知らない目的地に向かってドライブしていて迷ってしまい、同じところをぐるぐる回っているようなとき、
同乗している女性が「車止めて誰かに聞いてみたら?」と提案すると、男性はたいてい気分を害してしまう。
女性は男性が自ら「だれかに聞いてみようかな~」と言いだすまで、じっと待たなくてはならないのだ。
男は「だれかに聞いてみたら?」と言われると
「あなたは能力なしね、さっさと誰かに尋ねて目的地にいきましょうよ」というニュアンスを感じてしまうらしい。
おまけに、もともと誰かの指示を仰ぐ、というのは男性にとって苦手な行動である。
そう言われれば確かに私自身、スーパーでも「ココナツミルクどこですか」と尋ねればすぐなのに、
つい(最初は)自分で探そうとしてしまう傾向がある。
道を尋ねるのは、尋ねた人が目的地を知らない可能性がかなりあるし、
教えてもらった行き方が間違っていたらどうしよう、だれに聞いたらいいかな、などど考えてしまうので、もっと尋ねにくい。
それより少し苦労して時間もかかるけど自分で地図と格闘するほうが気が楽である。
これに対して女性はこんなとき他人に道を尋ねるのになんの躊躇もない。
「誰かに聞いてみたら」という女性の言葉は確かに問題の早期解決のために正解なのだが、
男性にとってはそれが親しい女性
から発せられると、なにか指図されているようで、
自分の価値が低くなったようで気分がすぐれない。
男はだれかに粗雑に扱われるのを非常に嫌う。
それは実際はたまたまそうなったことが多いのだが、男はそれは相手が自分を低く見ているからに違いない、と考えてしまい、
女性からみるとちょっと理解しがたい怒りかたをするのである。
男性を怒らせるのには苦労は要らない。
彼のリクエストをこれ見よがしに後回しにするか、無視すればよい。
男は例外なく傷ついて、湯沸かし器のように怒り出す。でも結構長い間、根に持つので要注意である。
こんなエピソードも。
ある男性が近所の女性にしょっちゅうエンストする車をみてもらえないか、と頼まれた。
男性は自分の予定をつぶしてがんばってみたが、道具がなくて直すことができず、すごく情けない気持ちになった。
その女性はそのことを察知してか、次の日、そしてその次の日も、
「車の調子は前よりずっとよくなりましたよ」と言った。
男性が車に対して何もしてないことがわかっていても。
男性は本能的に他人を(特に女性を)助けるという行動には全力を傾けるもので、
女性は他人に助けを求めることに躊躇せず、そしてそれに対して感謝を示す、という本能がある、ということみたいだ。
たしかに、女性にお願いします、と頼まれて断るのはなかなか難しい。
男性にとって愛する人が自分を信頼してくれることが(たとえ誤った信頼でも)うれしいようだ。
逆に自分を信じてもらえなかったときは、彼はいたく傷ついてしまう。
ケーブルテレビの番組がDVDレコーダーにうまく録画できないので、ちょっとみてみて、と奥さんに頼まれたある男性、
マニュアルなどと首っ引きで1時間も格闘したあげく、どうもそのレコーダーにはその機能はなさそうだ、という結論に達した。
奥さんは「そう」、と言ったが次の日近所のメカニックの男性にレコーダーを見てもらえないか、と頼んだ。
その男性の結論は結局同じだったのだが、その事実は旦那さんの気分をすっかり害してしまい、
長い間けんかの種になった。
ある男性は彼女をドライブに連れて行ったとき、狭いカーブを曲がったり大きなトラックとすれちがうたびに、
彼女が「ひゃっ」と息を飲むのが気に入らない。
「僕の運転が信じられないの?一度も事故したことはないんだよ!」と声を荒げてしまう。
彼女にとったら別に信用してないわけでは全然ない。ちょっと怖かっただけ。何でそんなに怒るの?ということなのだ。
どうも男性の気持ちを傷つけず、つなぎとめておくためには、
彼を(信用できなくても)全面的に信用する、と決めて、なんでも彼の能力でできる範囲で我慢するしかなさそうである。
女性にとって配偶者は最も親しい関係の人間で、
だから、自分の希望はどんなことをさしおいてもかなえてくれる(べきだ)という思い込みがある。
だから夫になにか頼むのはほとんどが指図か命令口調である。
「ちょっとお風呂の電球切れてるの代えておいて」「帰りに牛乳買ってきて」「今週って相棒の放送あったかな?」「今何時?」
夫としたら、何でそんなにいいように指図されなくちゃならないの、
「相棒?自分でチェックしたらいいじゃないか」
「何時だって?僕は時計持ってないよ。時計はそっちの方が近いじゃないの」ということになるである。
時々新幹線の中でお目にかかるフルムーンチケットで旅行しているような老夫婦を拝見すると、
ほとんど奥さんがこまごま指図して旦那さんが何も言わず従うという構図である。
あきらめているのである。
見ていると気の毒になるのだが、明日は我が身、抵抗するだけ無駄、というものか。
女性の側からすると、こんなに親しい、愛し合って長いあなたなのだから、
私のして欲しいことは何でもかなえてくれるわよね、ということで、
わざわざ「悪いけど、○○お願いできないかしら」とは言わない。
指図口調なのは親しさの表れなのだ。
でも「相棒?自分で調べたら?」と言って新聞を放り投げると、
女性としては自分の希望を無視された、優しくない、ということになり、
とたんに関係悪化の気配が漂ってくる、ということになるのである。
男性はどんな親しい配偶者からでも、実は丁寧に頼んでもらえると
前述のように、とたんによろこんでどんなことでもする本能があるのだ。
「~して」と指図するのでは全く逆効果であることを知って欲しいものである。
(2012.11)(2013.9That's not what I meantの内容から一部追加しました)
参考文献
His brain, her brain. Scientific American Mind (Vol 21 No2, Scientific American New York 2012)
Deborah Tannen You just don’t understand. Women and Men in conversation. 
That's not what I meant!
Harper New York (originally in 1990)
これらの本の中からの受け売りですが、私により日本人向けに大きく修飾されています。
私のオリジナルもあります。
これらの本を見ると日本人とアメリカ人の違いも感じます。"