脳の快感は、一瞬の振幅ではない たとえばドパミンがたくさん出たから幸せとかそんなものではない 大きな音を聞いて快感と感じる人は少ないだろう そうではなくて、モーツァルト的メロディーに反応しているのである それは音の大きさ(たとえば一瞬のドパミンの量)ではなく 音が時間の軸にそってどのように配置されているかという問題で それを人間は旋律として認識して口ずさんだりする 一瞬の大音量を口ずさんで快感だという人はいないだろう 音の連なりを認識して、快感が生じる この点から言えば、日常を生きて、繊細に物事を感じ

脳の快感は、一瞬の振幅ではない
たとえばドパミンがたくさん出たから幸せとかそんなものではない

大きな音を聞いて快感と感じる人は少ないだろう
そうではなくて、モーツァルト的メロディーに反応しているのである
それは音の大きさ(たとえば一瞬のドパミンの量)ではなく
音が時間の軸にそってどのように配置されているかという問題で
それを人間は旋律として認識して口ずさんだりする
一瞬の大音量を口ずさんで快感だという人はいないだろう
音の連なりを認識して、快感が生じる

この点から言えば、日常を生きて、繊細に物事を感じることができれば日々幸せだろう
という考えは少々訂正を要する
繊細に感じなさいというのは、要するに音量つまみ(ボリューム)を大きくするという程度の問題である
そうではなくて、
日々の生活の中で、意味の連なりの中に、一段次元の高い意味を見出す、メタ意味を見出す、
そのようなことなのだろう