すべての戦争は平和のためであり正義のためである
歴史を見れば、平和が訪れるのは、戦争の後に最終勝利者が確定した時である
徳川家康が平和主義者だったわけではない
言葉を替えれば平和と正義のための経暴力である
映画やドラマで人気がでるのは水戸黄門タイプで
最後は助さん格さんの暴力的解決が求められるようだ
平和のための暴力が好まれるのは人間の本能というものだからなのだろうか
正義だから強かったのではなくて
勝ったから自分の都合の良い歴史を書くことができただけである
最近の言葉としての平和は
反対勢力を策謀により封じ込めているだけである
善政を敷き、すべての人が同意して平和が実現しているわけではない
善政を敷いたとしても、権力を欲する人はいるはずで、
何をしても戦争の芽は存在する
権力を求めるとか正義を求めるとかの理由で戦いをするよりは
考え方の違う人がひとつにまとまろうとすることを諦めて、
二つに分割した方がいいだろうと思うがどうだろう
権力主義者が二人いて闘争するようなら
戦争するよりも、
二つの地域に分割して、それぞれに賛同者が集まればいいのではないかと思う。
その考えで言えば、
原発、戦争主義、大きな政府・高福祉と小さな政府・低福祉の3つの争点があるとして、
2*2*2=8つの地域を作って
自分の考え方に適合する場所に移り
それぞれに暮らせばよいだろう
日本などは土地本位主義みたいなところもあるので簡単に移住できるわけではないが
農業生産がここまで落ち込んでいるのだから
あとはお金の問題だともいえるだろう