"日本人は、やりたいことを「やりたい」って言いません。日本の大手不動産会社は「儲けたい」なんて、絶対言いません。社会に奉仕したい、とか。だから日本の会議は、すごくフラストレーションがたまります。「この人は、結局何を言いたいんだろうか」と思う。"
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いま衆議院選挙のさなかですが、テレビで見かける論戦というものも、
相手の話は聞かないし、質問を理解しないし、言いたいことだけ言っていて、
議論になっていない。
議論をすれば負けるからそのような作戦をとって、自分は議論のプロだとか思っているのだろうか。
見ている我々は、ひどいなあと感じるだけである。
原発のことも秘密保護法のことも、集団的自衛権に関しての解釈改憲のことも、その他いろいろ、
国民をだまし討にして、国民投票をやれば否決されるようなことを自民党は次々に決めた。
そして、そのことについて、きちんと「信を問う」というのではなく、アベノミクスはどうですかと「信を問う」形になっている
他にどうしようもないんだから、円安株高でいいよ、そのうち庶民にもトリクルダウンしてくるんだろう、
そのうち本当に構造改革、財政改革、新産業の具体策が打ち出されるのだろうとといことで自民党に投票すると
あとで、「あの時、国民に信を問うて、国民は自民党を信任したのだ」ということになって、
軍国主義とか原発とか、沖縄とか、もう包括的に、自民党右派の言いなりでいいですということになるのだろう。
現在の日本の民主主義の制度を利用して、最大限、その精神を踏みにじり、突き進もうとすれば、
こんなこともできるんですよという、著しい例であると思う。
あの時は全国民的には原発再稼働に賛成していた人は少数だったのになあと
あとで後悔することになるのだろう。
原発をどうするかとの問題と、原発の存在する地域の経済振興の問題は、関係があるけれども、
同じ次元で考えていいことではないはずだ。それくらいのことはだれでも分かる。
原発をやめる代わりに別の地域振興策が必要で、それを提示すれば、地元の人は納得するというのなら、
やはりそれが正しい方向だろう。
そんなこともあんなことも、何も議論せず、議題だけ提示して、的はずれなことを言っても、問題にもならない。
挙句の果ては、憲法改正を発議しますかとか司会者が安倍氏に聞いた場面もあったらしい。
プロレスの審判とか、巨人が好きなアンパイアとか、そんな感じ。
公正さの精神が、社会の上に行くほど、消えている。