“正直言って、私は日本人がiPadを発明しなくても、YouTubeを発明しなくても、別に構わないし、それをとくに恥じる必要もないと思っている。
それより、ふつうの人たちが等身大の自尊感情を持って暮らせる社会を確保することの方が先決ではないかと思うのである。”
幸せに生きるために政府による株価操作と為替操作は必要なのだろうか
幸せの感覚や概念の解像度の問題なのだろう
しかしここで粗雑に考えると宗教的信念にいってしまう
無宗教でも特定宗教でも共通の、微細な幸せの感覚
それを描くのが文学である
幸せを感じる手ほどきをする
たとえば赤毛のアン、ポリアンナ
雨の日は傘をしたりしてめんどくさいと言ってないで
長靴が履ける!とか水遊びができる!とかいろいろあるんだと想い出す