“その時、会社側の偉い人が聞いた、「大学で得た一番の成果は」という言葉に対して、学生さんは口々に答えた。曰く、サークル活動でこういう企画のリーダーをやって成功させた。○○というボランティアを行った。アルバイトで、××という店の立ち上げに関わった。色々な人たちとコミュニケーションをとって、成功に導いた。会社側の偉い人も、得心顔でうんうんと頷いている。
この時、妙に胸が痛くなった。
彼らは、アピールポイントとして何故、「研究に打ち込み、こういう分野でこういう学問を修めました、修めようとしています」ということではなく、学問とは直接関係のない、「リーダーシップ」であるとか、「コミュニケーション能力」であるとか、そういうことを選択するのだろうか。大学とは、学問を修める為の場所ではないのか。学府ではないのか。
自問するまでもなく、答えは明快だ。会社の側が、社会の側が、「学問」ではなく「リーダーシップ」や「コミュニケーション能力」を求めているから、彼らはそれに特化した答えを返すのだ。会社が、「お前らの学問など仕事では役に立たない」と今まで言ってきたから、学生さんはそれに特化した答えを学習してきたのだ。
悪いことに、私自身、「大学で学んだ知識が仕事に直接役立ったか?」と言われた時、無条件で首を縦には振れない。私は文学部の出身だ。大学時代、奈良時代の巻物に書かれた曲がりくねった文字と格闘しながら過ごしてきた。紆余曲折を経て、今はDB屋もどきだが、時折曲がりくねったSQLと格闘するということがある以外、大学時代に学んだこととの共通項は仕事にない。
勿論、学部や専攻した内容、就こうとする仕事にもよるのだろうが、「大学で学んだ知識、修めた学問が、直接仕事の役に立つ」というケースは、全体で言えばたぶん少数派なのだろう。
しかし、学生さんに対して、「お前らの学んだことは仕事では役に立たない」と伝えることは、果たして正しいことなのか。学生さんが、自分の修めた学問に誇りを持って就職活動に臨めないのは、果たして正しいことなのか。”
学生さんは、何故「自分たちがやってきた学問」について誇れないのだろうか
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大学教育は破綻している
大学の経営破綻も間近である
すると大学教員の失職も間近である
どこにも就職できなかったから大学院に行って修士号と博士号を
もらいました(有り体に言えば、買いました)という現実になっている
教員としては、土台、適性がなく学力もない人間を
ただ支払い能力があるというだけで学校法人の経営のために入学させて卒業させるのだから
モチベーションゼロである
無駄な数年を過ごす学生も災難である
未来がますます閉ざされてゆく
もちろん、ここに至る前提として、小中高の教育が破綻しているのである
そして教育改革が語られる場合、愛国教育の強化なのであるから、
もう二重にも三重にも未来は暗い