採録
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心の病について、良くある誤解について書いてみます。
心の病とは、私の理解するところでは、病が原因で心に症状が出る事を指します。しかし、世間的には、心が原因で病になるかのように表現されています。これは真逆の解釈です。
性格とこころの病気
例えば、いまだに言われるのはメランコリー親和型神話です。
メランコリー親和型とは精神病理学の分野で確立されてきた概念で、几帳面で、真面目で、責任感が強く、人に合わせるタイプの、いわゆる社会的に望ましい性格の人ですが、そういう性格は鬱になりやすいという、数十年前にもてはやされた説です。この時代に教育を受けた医師(大抵非専門家産業医)は、まことしやかにメランコリー親和型について唱え、「もっといい加減に生きよう」、「ポジティブに考えよう」みたいなことをでっち上げます。
結論から言えば、それは神話です。メランコリー親和型の方と、そうでない方で、うつ病になる確率が違うという根拠はないのです(たとえば坂本や風野)。
一方で、うつ病の一つの柱には「脳機能の低下」があります。色々な種類の機能低下があるのですが、幾つかを挙げると、物事をうまく選べなくなったり、決められなくなったり、集中できなくなったり、自分の行動に自信がなくなったりします。
そうなってくると人は、視野狭窄になり、マルチタスク不能になり、目の前のことをコツコツやるしか無くなり、変に自分の仕事にこだわるようになり、人の意見に左右されやすくなります。
つまり、うつ病になるとあたかもメランコリー親和型のような振る舞いをするようになるのです。メランコリー親和型をうつの病前性格のように見せていたものは、既に軽く発病している状態であり、病気に寄る機能低下が心に影響しての振る舞いなのです。
病と症状の逆転現象
ある人は言います。「私はうつ病にならない。だって、『死にたい』なんて思ったことは一度もないし、毎日楽しいし、充実しているから。」
それはつまり、「私は胃潰瘍にならない。だって、毎日おいしく食べられているから」、「私は骨折しない。だって毎日歩けているから」のような、ナンセンスなお話です。病とは『健康なときにはできていること』ができなくなるから”病“なのです。
なぜか心の病では、そのような当たり前の因果が逆転します。死にたいと思ったことのない人も、うつ病にかかれば、死にたいと思うようになるかもしれない。ただそれだけのことです。
またある人は言います。「毎日楽しく、仕事も充実し、家族ともうまくいっており、日曜日は友達とフットサルしている。こういう生活をしていたら、心の病にはならない。」
やはりそれは、病気というものに対する誤解と偏見です。「私は胃潰瘍にならない。だって、毎日充実しているから」、「私は骨折しない。だって毎日充実しているから」のような、ナンセンスなお話なのです。
これらは、つまり、「心の病になるような人間は、もともと死にたいと思っていたり、家族不和だったり、仕事ができなかったり、趣味が無かったりする、弱い人間なのだ」という偏見なのです。盲腸の時は、「あいつは弱いやつだから盲腸になったんだ」と言わないのに、うつ病の時はそう言う。これが偏見なのです。
偏見について
少し前の話ですが、とある議員が医療機関で「会計が高い」「待たせすぎだ」などと怒鳴り散らし、自身のブログに書き込み炎上という事件がありました。これはまあ、私からすると躁症状に見えるわけです。
炎上したのは多くの人が異常だと思ったからであって、異常とは異常な不見識・非常識、つまりあの行動を本人の性格・人格由来だと思ったわけです。残念ながらどのようなメディアも「躁転してるんじゃないかな?」とは言わない。可能性を疑ってみることすら無い。
で、本人は自死される。自死されるとブログなどでは、チラホラと躁鬱を疑う意見が出ているようですが、もちろんそれではもう死んでいるわけですから遅すぎます。
躁転なんて線香花火のように短い時期だけで、その前後には長々と鬱が横たわっています。躁から鬱へ、あるいは鬱から躁へのスイッチの時期が最も自死しやすいタイミングです。
最近だと、どこかのバス会社で遠足の手配漏れがあったとかですかね。「ありえない、ありえない」、「なんてクズ人間だ」、「会社はオカシイ」と騒ぎ立てるだけでなく、ちょっとそこに病を想像してみませんか?うつ病になれば、貴方自身がバスの手配をできないまま放置するようになるわけですから。
一方で、蔑称としても精神科の病名は使われます。あいつは発達障害だとか、人格障害だとか、つまり頭がオカシイんだと言わんばかりに病名が乱発されます。「私はあの人が嫌いだ」と言えば良いだけなのに、病名をつけてしまいます。
前述の方々について躁だとか鬱だとか、観てもいないし喋ってもいないし、しかも医者でもないのに言っているという私の行動も、まあ同類の行動と言えます。
しかし、そしられるのを承知であえて書いたのは、世間に「心の病というものがある」と理解して欲しいからです。「全ての異常行動を心の病のせいにしろ」と言いたいわけでも、「心の病のせいなら、何してもいい」と言いたいわけでもありませんが、誰かの行動に異常を感じた時にすぐに個人攻撃に走らず、「心の病の可能性」について幅を持って考えて欲しいのです。
理解と想像力
なかなか理解は難しいのは分かるつもりでいます。私は企業に出向いて産業カウンセリングを行っています。うつを発病し、休職した方との面談の中で、クライアントさんがこう言いました。
「私はこれまでうつ病になって休んでいる人と何回か同じ部署になったことがあります。正直、鬱なんてのは全くの嘘だと思っていました。あいつは根性ないからサボっているだけだ。同じ給料もらってると思うと腹が立つ、と同僚と陰口をたたいていました。しかし、今自分が鬱になってみて、ようやくこれが努力や根性でなんとかなるような、そういったたぐいのものではないんだということが分かりました。」
私は個人的興味から、「正直に言って頂いてありがとうございます。参考までに、今のあなたが、以前のあなたに会ったとして、何をどうやって伝えれば、うつ病というものを判ってもらえると思いますか?」と尋ねました。
クライアントさんは、うーん・・・としばらく考えて、「いや、・・・・無理だと思います。これはなってみないと分からないですね。」と言ってくれました。
なってみないと分からない。それは一つの真理です。しかし我々を人間たらしめているものは、なったこともないものを思う力、つまり想像力です。
想像してみて下さい。毎日起きて、家族に挨拶し、着替え、朝ごはんを食べ、職場に行き、同僚に挨拶し、仕事をする。そんな当たり前のことが、何一つできなくなる日のことを。
そして、自分が当たり前に振る舞えない理由が全くわからなければ、どんな気持ちがするかを。
私はカウンセラーですが、他人のココロは全く判りません。そんな私と他人の隙間を埋めるのは、あくまで私の想像力だけです。
以下はマシュー・ジョンストンという作家・イラストレーターが描いた絵本を元に、2012年の世界メンタルヘルスデーにあたり、世界保健機構(WHO)がYouTubeに投稿した動画です。
https://www.youtube.com/watch?v=XiCrniLQGYc
動画では鬱を黒犬に喩えて、非常にリアルに伝えています。黒犬に取り憑かれると、何をしていても、どんなところにいても、不機嫌になり、怒り散らし、沈んでしまいます。食べ物は砂を噛むように思え、周りの皆が敵に思え、喜びは一つもありません。
<参考記事>
続 ツレがウツになりまして
休職しているのに、休まらない気持ち
精神科受診と生命保険の残念な関係
「従業員満足」で企業業績は上がるのか?
JTB中部はバスの手配を漏らした社員を責める前に企業体質を自省すべき。
西川公平 心理カウンセラー