加害者と被害者を比較してみると 被害者には積極的に罪を赦すという選択肢がある 加害者にはそれがない 罰金を払っても、刑務所で何年過ごしても、また死刑になったとしても、 罪が消えるわけではない 加害者にあるのは たとえばキリスト教で言う キリストが罪を背負ってくれて 加害者は許されるという考え方である 苦しみの果てにたどり着く考え方とはいえ 果たして納得できるものだろうか ーーーーー 偶然の加害者と 計画的な加害者も かなり違うだろうと思う 計画的な加害者の場合には やはり頭のなかの「はかり」がず

加害者と被害者を比較してみると
被害者には積極的に罪を赦すという選択肢がある
加害者にはそれがない
罰金を払っても、刑務所で何年過ごしても、また死刑になったとしても、
罪が消えるわけではない
加害者にあるのは
たとえばキリスト教で言う
キリストが罪を背負ってくれて
加害者は許されるという考え方である
苦しみの果てにたどり着く考え方とはいえ
果たして納得できるものだろうか
ーーーーー
偶然の加害者と
計画的な加害者も
かなり違うだろうと思う
計画的な加害者の場合には
やはり頭のなかの「はかり」がずれているのだろうと思う
どうしてそんなことになったのか
それは本人の責任なのか
などと考え始めると
罪という概念も曖昧になりそうになる
あまり過去に遡らないほうが
一応、納得はしやすい
ーーー
被害者は裁判で戦えば
弁護士に大金を払うことになる
積極的に罪を許すということで
倫理的な階段を一段登ることができる
その選択肢があるのだということを
考えてみるのも有益だろうと思う