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だが、人間はアフリカに帰ってゆく。
音楽に国境がない、というくらい酷いウソはない。
どんなチューンやリズムにも言語と文明の影響があって、どんな作曲者からもそれから自由になれはしない。
クラシックと呼ばれている音楽は(使用される楽器の成り立ちを考えれば)多分数学という言語が直截に影響している。
ソールズベリーのストーンヘンジは、最近の研究で、どうやら全体が「楽器」らしいことがわかった。長い論争に決着をつけることがほとんど確実な発見で、もうすぐ日本語世界にも紹介されるのではないだろうか。
ケルト族の知っているすべての土地から岩石が並んでいることや、無目的に見える精密な加工、そういうすべての謎が「鳴らして」みることによって解けた。
あれほど宗教的に見えた情熱は実際には「音楽」への情熱だった。
「現代音楽」ということを考えると、ただアフリカ人のリズムだけが、不思議にも言語の壁を越え、人種の皮膚の色や筋肉のおおきさや骨格の形の違いをも軽々と超えて、世界中に広まっていった。
両耳から白いケーブルを垂らした東アジア人の若い男がアフリカ人と同じステップを踏みながら22ndと7thの交差点を渡ってゆくのを見るのは楽しい。
リズム感があまり良いとは言えない北欧人の若い女びとが着ていたTシャツを頭の上でふりまわしながら、13分の7のリズムに乗って踊り狂うのは良く見る光景であると思う。
この世界からは素晴らしいスピードで人種も文明も言語の違いもなくなって、同じリズムで、アフリカ人たちのタイミングで踊るステップの音が響き渡るだけになってゆく。
理由は簡単で、きみとぼくのこの肉体が、たった5万年前に(多分)500人くらいしかいない小さな村に生活していた同じひとびとの肉体だからです。
簡略化した言い方をすれば同じひとつの肉体がトルクメニスタンの岐(わか)され道で一方は東に向かって東のはてで日本人になり、他方は西に向かって西のはてでイギリス人になったにすぎない。
もうダメだ、日本人のおれがジャズなんてやるのはやっぱり無理なんだ、くだらない夢だったと考えて、絶望していた渡辺貞夫にアフリカ人が与えたアドバイスは「サダオ、アフリカに行ってみろよ」だった。
「ジャズは、あの大陸から来たのさ。アフリカはジャズなんだ。行ってみて、それでもダメだったら、そのとき考えればいい」
もう自分の人生はすっかりダメと決めて、他にやることもなかったサックス・プレーヤーは、たいした考えもなしに飛行機の切符を買ってアフリカに行く。
「そこではすべてがジャズだった」と、この日本人のジャズ奏者は感動をこめて書いている。
「町のひとたちが歩くリズムも、動物たちが歩くのも、サバナをふきぬけてゆく風さえもがジャズだった」
おれが日本人なことなんて関係ないじゃないか、この世界はもともとここから広がったジャズなのだ、なんてバカだったんだろう、と発見した渡辺貞夫はまたサックスを手にとってジャズ屋の人生を歩きだす。
それ以来、正当にも、この人はジャズの世界で「日本人であること」をまったくハンディキャップと感じなくなった。