背景にある自明の前提がコミュニケーションを可能にする

"このことに関連して言えば,例えば植島啓司は「隠されたシステム」という言葉で,コミュニケーションに関する本質的なことを書いています.つまりある種の物事のやりとりの背後には,いつもそれを支える約束ごとのシステムというのが隠されている.でもそれはあまりにも当たり前すぎて,普通は意識されることはない.コンピュータはこのことをもう一度,全部洗い直さなくてはならないと.コミュニケ-ション・システムというのは,それがどういうものであれ,それ自身,きわめて限定されたものであるわけです.さきほどの裂け目の問題ともからんできますが,植島は,それを「ナイフによって世界に刻み込まれた一種の亀裂」なのだと言っています.そしてわれわれはコミュニケーションそのものが,ひとつの矛盾だということを根本で受けとめておかなくてはならない.こうしたことから彼は,「ディスコミュニケーション」という問題設定を出してくるわけです.このタームには,従来のわれわれの思考のプログラミングの回路を破壊してゆくという方向性がはらまれています.そのことによって多様性の高いシステムや多義的なイマジネーションの回路が生まれてくるだろうということですね.新しいコミュニケーションのインターフェイスが必要なわけです."

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このような一節で描かれているように、人間の日常のコミュニケーションでは、背景にたくさんの共通認識を事前に持っていて、そこからの差分だけを伝えることがコミュニケーションであるというように考えられる。
背景も含めて全部説明することは能率的ではない。
ところがコンピュータでプログラミングするときなどを考えると、この、背景にある共有情報がどのようなものなのかを明らかにしなければ話がうまくか噛まない。
また、異文化接触の場合なども同じ。

さらに精神病理学の世界では従来からシゾフレニーの場合のディスコミュニケーションの様態から、自然な自明性の喪失などと言われているものがあり、最近では発達障害のある部分においては、この背景にある自明の前提が共有されていない事態が発生しているのではないかと想定されることもある。