再生医療村の景色
みんなそれぞれかなり高度なことをやっていて
自分のたこつぼの中で生きているので
隣の人がどうしているのか
論文が最終的に発表されてからでなければ
仲の良い友達でもなければ知らない
ましてやトップシークレット的な研究の時には
誰にも言わないで進めることもある
世界で最初が大事だし、そのあとの特許問題とかもある
変に他人の研究に関心をもつことは
余計なことだし怪しいと思われたりするのでしないほうがいい
そんなこともあって、同じ組織内にいたとしても、
他人のことはまるで知らないということは大いにある
タイトルと方法論くらいは知っていても、どの細胞かどこにあって、最近ずいぶん増えたなとか、知らない方がいい
また、同じ論文に名前を連ねていたとしても、
秘密の保持のためには、主な筆者とその親分または子分の、二人程度が全体を把握していて、
後の人は、部分部分で技術援助者として関わっているだけという場合もある
その全員に研究の詳細を説明してしまうと、またそこで秘密の保持が難しくなる
(そういうたてまえで、秘密部分を作ってしまう)
他人の研究に本気で関心をもつとすれば、
まず自分の研究に役立つ場合であるが、その場合は、関心をもつという程度では終わらず、結局、係ることになるだろう
アイディアを交換しあったりすれば、共同研究になる
そうでない場合は、批判的に係ることになってしまう
そうなると、専門家同士なので、科学なのだから論理と実験で証明されるというのが建前であるが
実際は人間の社会なので、権力関係によって、言いたいことも言えなくなるし、
勝手にやっていればいいよ、という態度を取らざるをえない場合もある
何しろ狭い社会であるから
そしてはじき出された時に行き場がないのである
批判するために知りたいという人に教える暇なんてない
他人が関心をもつという場合、好意的援助的な関心と受け取ればいいのだが
人間は被害的な受け取り方をする人も多いもので
自分のやっていることが否定されるのではないかと恐れる
しかも、実際、やっている本人も、これはインチキだよなあと思う部分があれば、
絶対に他人に詳細は見せたくなくなるものだろうと思う
そしてどんどん被害的になっていく
そして言動が不安定になる
臨床医学の場合には患者さんのプライバシーとかの観点から守秘を厳格にする場合があり
そのことで、自らの行為を、秘密にしてしまう人もいる
しかしまあ、そんなことをしてもしなくても、普段の言動から、インチキかどうかは、それとなく分かるものではある
自信があれば、オープンにすればいいのだ
なぜかオープンにしない人たちが結構いるものだ
質問をしても、その質問の意味がよくわからないというようなふりをしたりする
それもインチキさんのよくやる手である
手軽に成果を上げたいと思うからいけないのだと
原点に気づけばいいのだと思うが
途中まで進んでしまうとそんなわけにはいかないらしい