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インターネットを利用できるかどうかなど、ほんとうは瑣末な問題だ。
大切なのは、その子がもう少し大きくなった時に「インターネットを利用すべきか」を自分で判断できるようになることだ。知識・技能の習得にネットが有用なのは確かだ。が、ときにはネットを我慢すべき場合もある。そのときに自分の頭で「我慢すべきだ」と判断できなければ、その子はニコニコ動画とYoutubeに時間を浪費して、学ぶべきことを学べないだろう。
子供には無限の可能性がある。その可能性を潰すのは、周囲の環境と親の思惑だ。親の思い通りに育てたところで、子供の可能性を活かすことができるとは限らない。マルセル・プルーストは、父親からは外務省の役人になることを望まれていたらしい。彼は親の希望を叶えなかったが、『失われた時を求めて』という20世紀を代表する小説を残した。親の望み通りに育てることが、いい教育だとは限らない。
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