最近の雑誌記事で高層マンションに住む子供は知的に伸びないというような趣旨の 記事があったように思う 家にいろいろなガラクタがあり、物置に行くと、使えるのか使えないのか怪しいようなのもが 色々置いてあって、何かしようという時に、工夫が出来る環境が子供にはいいらしい。 本にしても、父親の本、母親の本、子供の本と別の区画において、交じることのない環境よりも、 ある程度雑然としていて、相互に手にとって見るような環境がいいそうだ 高層マンションの住人は必然的に片付けるし、機能的に暮らすということなのだろう 田舎の

最近の雑誌記事で高層マンションに住む子供は知的に伸びないというような趣旨の
記事があったように思う
家にいろいろなガラクタがあり、物置に行くと、使えるのか使えないのか怪しいようなのもが
色々置いてあって、何かしようという時に、工夫が出来る環境が子供にはいいらしい。
本にしても、父親の本、母親の本、子供の本と別の区画において、交じることのない環境よりも、
ある程度雑然としていて、相互に手にとって見るような環境がいいそうだ

高層マンションの住人は必然的に片付けるし、機能的に暮らすということなのだろう
田舎の一戸建てのように物置とか何かの一時置き場のような場所とか
ガラクタが雑然と置かれている場所とかは、都会の高層マンションでは片付けられてしまうということだろう

都会の子供はガラクタを組み合わせて何かを発想するのではなく
スケジュール通りにピアノ、バイオリン、バレエ、くもん、英会話、塾、サッカー、野球、農業体験、書道など
お金を払って体験するのである。
良い経験をたくさん積むのであるが、親としては、才能発見のため色々とトライするという面もあり、
子供にすれば、やってみた、一応出来たが、才能があるというほどではない、だからある程度でやめる。
一流と言われる先生に何か説明を聞くだけでも素晴らしい教育である。
最近の子は諦めも早いようである。

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昔の子供は何もなかったから、自分で工夫する、そこから創意工夫が始まり、
知能が発達する、対人関係が発達するという話しらしいが
なんとなく納得できる。
いまでもガラクタの山を見ると、これで何をつくって遊ぼうかと思ってワクワクする。
子供の取って無駄がたくさんある環境というのは幸せらしい。