(知の明日を築く)早稲田大応用脳科学研究所 脳の謎解き 医療に応用
うつ病や不安障害から脳卒中による後遺症まで、健康や医療の問題に人間科学の観点から切り込むのが早稲田大学の応用脳科学研究所だ。スポーツ科学の知識も生かして、専門教員27人が格闘している。
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准教授の村岡慶裕(42)は、リハビリテーションの世界に新風を吹き込む。「脳卒中で失った体の機能は回復しない」という常識を覆したのだ。
脳卒中で脳に損傷を受けると、手首が動かなくなる後遺症が残りやすい。脳卒中から生還して命を永らえても、日常生活で苦労する人が多い。
ところが、自由に動かなくなった手足でも、動かそうとするときに筋肉に弱い電流が流れることがある。
村岡は、腕に貼った電極で体の電流を検知して、筋肉が動く強さに増幅し、筋肉に電気刺激を返す技術を開発した。これだけで動かなかった腕が動くようになる。
さらに驚くのは、装置を付けて体を動かす訓練を続けると、装置がなくても手首が動くようになることだ。ある脳卒中の患者は、左手首を動かすときに使う脳の一部が脳卒中の影響でうまく働かなくなっていた。6週間の訓練を続けたところ、壊れた脳の働きを代替するように、別の部分が機能するようになった。
開発した技術は製品になり、全国400カ所のリハビリセンターなどが使う。慶応大学に所属していた2001年から開発を始めて、今も改良を続ける。
実用化の後も、現場の要望をくみ取って装置を小さくする研究をしている。「腕時計型の装置なら服の袖に隠れ、周りに気づかれずに訓練できる」(村岡)。値段を下げる工夫にも取りかかる。
「マインドフルネス」という認知療法の一種が脳に与える影響を調べるのは、所長で教授の熊野宏昭(53)だ。マインドフルネスは瞑想(めいそう)を通じて自分の心の状態と向き合う療法で、うつ病や不安障害の治療に使う。
多くの研究で症状が改善することが分かってきたという。どのように訓練すれば、脳がどう変化するのかが分かれば、さらに効果が高まる。
自らも週に2回、臨床医として患者の前に立つ。精神疾患の治療には、自らを客観的に捉える訓練をする「認知行動療法」も活用する。
「マインドフルネスと認知行動療法を組み合わせれば、より効果的な治療ができると考えている。基礎的な仕組みを脳科学で明らかにしたい」と意気込む。
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発達心理学が専門の教授、根ケ山光一(62)は、情報工学の研究者と一緒に研究している。テーマは、母親と赤ちゃんが言葉を使わずに意思疎通する仕組みの解明だ。
親子の動作や声の掛け合いなどから、コミュニケーションの根本を探る。日本と英国の子育ての現場を、動画や音声で記録して解析する。
生後数カ月すれば、赤ちゃんは母親に頼りっぱなしではなく、自ら母親の動きに合わせるようになるという。「相手の『意図』を読み取る力の発達が分かる」(根ケ山)。これらの基礎データが将来は「コミュニケーション障害の理解に役立つ」と期待する。
研究所は「応用脳科学」の看板を掲げ、知の象徴である脳の本質に迫る一方で、常に社会に役立てることを目標にしている。