“ 昔、ある自治体で公園の類のハードを作る計画があって、何かの会合でその完成予想図をパースで見せられたことがありました。そのパースには、公園と建物と芝生や木やベンチが描き込まれ、たくさんの人がその公園を歩いたりベンチに座ったりしている絵が描かれていました。要するに、「この公園は人がたくさん集う憩いの場になります」ということを表しているわけですね。で、意見を求められた私はこんな質問をしました。 田尾「この絵は、例えば何月頃の何曜日の何時頃の絵なんですか?」  一瞬、席上に「何を言いよんや…」みたいな空気

昔、ある自治体で公園の類のハードを作る計画があって、何かの会合でその完成予想図をパースで見せられたことがありました。そのパースには、公園と建物と芝生や木やベンチが描き込まれ、たくさんの人がその公園を歩いたりベンチに座ったりしている絵が描かれていました。要するに、「この公園は人がたくさん集う憩いの場になります」ということを表しているわけですね。で、意見を求められた私はこんな質問をしました。
田尾「この絵は、例えば何月頃の何曜日の何時頃の絵なんですか?」
 一瞬、席上に「何を言いよんや…」みたいな空気が流れた(笑)。しばらくして「完成予想図だからそんなことは想定してない」みたいな返事があったので、
田尾「じゃ、仮にこの絵は春のいい天気の平日の昼だとしますね。ここに親子連れの家族と思われる人たちが描かれていますが、このお父さんとお母さんは仕事休みなんですか? この子どもはもう歩いてますけど、保育園も幼稚園も行ってないんですか? こっちにカップルみたいな人が描かれてますけど、この2人は平日の昼にここに何をしに来てるんですか? こことこことここにお年寄りらしき人が描かれていますけど、家にいないでここに何をしに来てるんですか? こっちにはサラリーマンみたいな人がいますけど、平日の昼間、ここに何をしに来てるんですか?」
 あんまり続けると頭がおかしいんじゃないかと思われたらいかんので、言いたいことを説明した。
田尾「とりあえずですね、ここにたくさん描き込まれている人の中で、そうやって何をしに来てるか説明のつかない人を消していくわけです。つまり、そんなやつはここには来ない、という人の絵を全部消す。で、説明のつく人だけが入った絵が、この公園の正しい完成予想図ですよ。つまり、平日には人っ子一人いない公園。このままだとそうなりますよ」
 で、同じように「土曜日の絵」とか「日曜日の絵」とか、「冬の日曜日の昼の絵」とかいろんな季節や曜日や時間帯の絵を作って、何をしに来てるか説明のつく「人間」だけを描き込む。すると、このまま計画を進めるとどういう公園になるのかがだんだん「正しく」見えてくる。「完成予想図」という具体的な目的(目指す姿)を表した絵を描くこと一つをとっても、目的に「人をどうにかする」というのが入ってきたらそれぐらいのことは考えないと「正しい絵」にならんのです。多くの人が「こうなったらいいなあ」だけでとりあえず人を描き込んでしまう。そこ、固定観念の壁です。