精神症状というものを考えてみると
たとえば次のようだ
電力会社から電気が送られてきているが
故障があると我々は停電だと認識する
しかしたいていは単に停電だと認識するだけで
どこが故障したのかまでは分からない
発電所かもしれないし、送電線かもしれない、変電所や配電盤などの可能性もある
しかし粗雑な観察をしている我々には停電としか認識できないから
どこの故障かまでは認識できない
たとえば、同じ時刻の停電が2日続いたとか、
停電して復旧に約5時間かかったとか、
停電の時に雷がなっていたとか、
状況を分析することで故障部位の手がかりを得ることはできる
しかし停電という『症状そのもの』からは、どのような停電かを知ることは難しい
単に電気が止まるということでしかないから
電圧が半分になるとか、5秒毎に点滅するとか、そんなことでもあれば分かりやすいけれども、
そんな停電は滅多になくて、ただ単に停電するというだけである
精神の症状もそんな感じがする
症状の仔細を調べて記録したからといって
脳のどの部分の故障なのかを知るのは難しそうな気がする
電話がつながりませんというのも似たような話で
我々がしたいのは電話で通話することだから
それができないというのが症状になる
そのことから原因の推定はできない
我々が現在、要素的な精神機能と考えているものが、一体どのような意味で要素的なのか、怪しい
電灯が消えたとか、通話ができないとか、そんなことのような気がする
どの精神機能も複合した脳の機能であるような気がする
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現在症状そのものよりも経過が病理の本質を表しているだろうということは言えるのかもしれない