スーザン・ケイン 「内向的な人が秘めている力」

社交的で活動的であることが何より評価される文化において、内向的であることは肩身が狭く、恥ずかしいとさえ感じられます。しかしスーザン・ケインはこの情熱的な講演で、内向的な人は世界にものすごい才能と能力をもたらしているのであり、内向性はもっと評価され奨励されてしかるべきだと言っています。

http://www.ted.com/talks/lang/ja/susan_cain_the_power_of_introverts.html 

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確かに内向-外向スペクトラムを考えて自分がどのあたりに位置するのか考えてみるのもいいし
もっと精密に自分はどのような場面で外向的または内向的になるのかを考えてみるのはいいと思う
どんな場面でという時にたとえばどの程度の退行場面でと加えると精神医学的である

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やたらにはしゃいでスピーチがうまくて
というのは学校の生徒だけではなくて
親にも要求されている
父兄会の様子はそんなふうだ

みんなそれぞれ自分らしくしていていいのよ、ただしみんなと同じように自分らしくしてねと
何重かのバインドをかけて
身動きできなくしてしまう
しかもそのバインドに教師自身も、また学校制度全体もはまりこんでいる

外向的で活動的でリーダーシップがあって
要するに多動で粗雑で自分勝手で演技的で操作的で自己愛的である
それが学校

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成功したセールスマンの文化を「人を動かす」は売っている
その著作をチクリと批判することはできるが
慌てて、私は否定しているのではないんです、と付け加えないと不安になってしまう
それが文化の圧力である

文化の圧力から解放されれば
現在の文化を20年前のピンナップガールの髪型がおかしいというのと同じように批評できるのだろうが
今のところそれは難しいらしい

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内向的外向的をだいたいはネガティブ・ポジティブで言い換えて話している

ポジティブ・シンキングとうまい言い訳の違いは
多分あまりないと思う
すっぱい葡萄も一種のポジティブ・シンキングだろう

ポジティブというような言い方は
行動主義心理学から出発しているようにも思える
そして成功したセールスマンの話とつながっている

何がポジティブかと考えると
低次のポジティブ
中等度のポジティブ
高度のポジティブ
などと区分することができる

低次のポジティブは
たとえばビデオで撮影してどの程度行動しているかを測定することができる
ものさしとストップウォッチがあればよい

動いていないということは死んでいることと区別できないということになる
それがネガティブということだ

そんな浅薄な話ではないだろうとは思うが
精神分析が隆盛の頃は行動主義心理学をからかってそのようなことが言われたものだ

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孤独の中で深い思考が花開くというのも
いい考えだが疑いもある

孤独の中で独自のことを「考える」のに、なぜ、共同体から授かった『言葉』を
用いる必要があるのだろう
独自のことを考えるのになぜ共通の道具を使うのだろう

言葉では言い表しにくい何かがあるものであって
それは表現を拒絶しているかもしれない

網の目を細かくしても無理
むしろ網の外側にある

網の範囲を広くして
機能まで外側であった領域を内側に変換したとしても
依然として外側が存在する
その無限の運動を思いめまいを感じる

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情報機器は元来孤独な人を孤独でなくしてしまった
いつも誰かとつながっていたいと実は孤独人は思っていたらしい
PCも携帯も切って一人になることを
閉じこもりの病人は恐れている

閉じこもりなのにネットを通じてつながっている
そこに大きな手がかりがある

内向的は真の内向的ではないのが多いのだ

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人々の脳をつなげていった先にGoogleの全体集合があるだろう
そんなくだらないものを積み重ねてどうするというのだろう
人生の時間が圧倒的に足りない

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ポジティブ心理学を一言で言えば
ダメ出しをしない心理学といえる

Aはやめなさいといえばネガティブだが
~Aをしなさいといえばポジティブである

何だそんなものかというわけだが
そんなものだろう

昔のインド・ウパニシャッド哲学では
サンスクリット語で
存在しない とは言わないで 非存在が存在する と表現している
存在しない とは言わないで ゼロが存在する と表現している

言い換えの技術なのかといえば
そうとも言える
低次元の説明としては

しかしそれが結構有効なのである

子供にソファで跳ねたらダメと怒ってダメ出ししていないで
こっちで縄跳びしようといえばいいだけだ

小学校のスターは縄跳びの名人で
特に大縄跳びが問題なのだと
ある子供は話していた
私は大縄跳びが苦手だからダメな子なんだけど
A子ちゃんは大縄跳びが得意でとっても羨ましいと語る

なんという精神狭窄

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リーダーシップと内向性は関係ないだろう
むしろリーダーシップなんて考え付きもしないだろう
そんなものはcyclothymeに任せておけばいいのだ

もちろんこの世の中は
リーダーシップのまわりに
お金も権力もセックスも快楽も集まるわけだけれども
真の内向性は
そんなものに価値を置かない

荒野をさまようのはいい
啓示に打たれるのもいい
しかしそのあとで人中に還り、説教を始めるという、恥のない根性が良くない
ツァラトゥストラがそのような典型でモーセもイエスもブッダもその他大勢がそうなのだろう

最も純粋で貴重なものは
荒野からまっすぐ天国に行ってしまった

教会に行けばよく分かる
宗教とはほとんど関係のない世俗人がすべてを仕切っている
宗教的な人間は教会が苦手である
教会はあまりに双極性の世界だからだ

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社交不安の人が自分は不安症で人前が苦手で
うまくできなくて困るというのだが
なぜうまくスピーチなんかして外交的に場馴れした感じで振舞いたいのだろう
私は苦手です、でいいのだろうが
子供の為を思うとそうも行かないという

ここに精力性と不安症の関係が見えている