2010年2月2日に、国会内の民主党幹事長室で米国務次官補カート・キャンベルと小沢一郎幹事長の会談が行われた。 翌2月3日、キャンベルはソウルでキム・ソンファン大統領首席秘書官と会談し、日本の外交窓口を小沢-鳩山ラインから菅-岡田ラインに切り替えることを伝え、この内容がワシントンにも報告された。 この事実を暴露したのがウィキリークスである。 真偽を確かめる方法はないが、米国が否定していないことから、この暴露情報は事実であると思われる。 米国政府が日本の政権を転覆させる意思決定を行ったものである。 事実、こ

2010年2月2日に、国会内の民主党幹事長室で米国務次官補カート・キャンベルと小沢一郎幹事長の会談が行われた。
翌2月3日、キャンベルはソウルでキム・ソンファン大統領首席秘書官と会談し、日本の外交窓口を小沢-鳩山ラインから菅-岡田ラインに切り替えることを伝え、この内容がワシントンにも報告された。
この事実を暴露したのがウィキリークスである。
真偽を確かめる方法はないが、米国が否定していないことから、この暴露情報は事実であると思われる。
米国政府が日本の政権を転覆させる意思決定を行ったものである。
事実、この後、鳩山政権は崩壊に追い込まれる。
後継政権となったのは菅直人政権であり、岡田克也氏は外相に留任した。
まさに、日本外交は菅-岡田ラインに切り替えられたのである。
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とのことだ