東京オリンピック決定で大量報道がされて
人々は「うれしい」と感じた人も多かったようだと報道されている
これは一昔前の心理状況を思わせた
「一億総」というような冠をつけて呼ばれたりした現象
みんなが同じドラマを見て、映画を見て、コマーシャルを口ずさみ、
同じ商品に憧れ、買うことに幸せを見出す
現代ではそのような一億みんなで熱狂できるものがなくなった
みんなが欲しい物、たとえば三種の神器とか、そんなものがなくなって
文化や価値観は細分化して共有できないものになっている
今回の東京オリンピック騒ぎはマスコミが見せているデジャ・ビューなのだろう
個人的にいって周囲の人間たちは、お金をかけてマスコミ総動員して騒げば出来るんだろうなと思ったし
実際に出来たね、という程度であるが、名古屋とか大阪ならまだしも、東京湾岸部というので
迷惑というかうるさいと思っているようだ
東京都庁としては塩漬けになっていた埋立地を何とか出来るというので宿題をひとつ片付けた感じだろう
たったそれだけのことなのにオリンピックを見てみたいとか見せたいとか
この時代にそんなことをテレビで言っている
土地の値上がりを期待して、株の値上がりを期待して、無駄遣いをして、
登り詰めたと思ったら一瞬のうちに下に落とされていた
ニューヨークの土地建物を日本資本が買い占めたもののすぐに手放した
あれは何だったのだろう
その小型版を今回仕掛けているのだがそれが誰の幸せになるのだろうか
安倍首相は次々に話題を振りまき、いつもニュースの中心にいる
劇場型政治である
ニュースになりそうなところには足を運んで映像になる
何もなければ外遊する
何もなければ外交案件
法案を提出するときもなるべく大きな話題になるようにする
一方で秘密保護法とかその他、話題にしてほしくなくて、素通りしてほしいものがあるときにも
別の話題を操作してニュースの時間を独占してしまう
忘れさせるために新しい話題を放り込む
軽躁状態のはしゃぎ方、一貫性のなさ、その場しのぎ、奇妙な笑顔
分厚い古典を勉強する知性ではなくて
薄いパンフレットで済ませるにわか勉強
アメリカの文化の中で言えば
東部エスタブリッシュメントの西洋古典に遡る深みのある文化ではなく
下町無教育地域のその日暮らし、ラップとストリートダンスの文化が
日本に注入され続けている