大飯原発が定期検査のために停止となり、現在日本での原発稼働はゼロになった。
状況にはいくつかの側面がある
原発については技術的な問題、つまり使用済み燃料の始末の問題があり、
また未来の地震被害にあたりどの程度の被害が予測され、合理的な対策がなされているかなど
未解決の問題がある
また一方で、経済的な問題があり、政府お得意の「問題は先送り方式」で、
1000兆円を超える膨大な借金と同じく、最終処理は後の世代で解決してくれるだろう、
いまはとりあえず六ケ所村にでもためておこうということだ
そのうえで、短期的な経済利益を取りたいという意見
原発を停止させると電気料金が上がり、庶民も困るが、産業全般に競争力が削がれるという議論
また一方では、原子力という科学の力を使うとしても、それは我々の制御を超えているものではないかという、
科学論的というか文明論的というか、そのような、深い反省がある
その一部には広島、長崎があり、チェルノブイリがあり、また報告されていない事故などもある
東海村でのずさんな知識に基づいた危険な操作なども歴史にはある
まったくもって「日本国総理大臣の言う under control」ではないことは明白なのであるが
そのことを考えるのは科学文明の上に立ち傲慢ではいけないとか
自然と歴史の前に謙虚でなくてはならないとか
そのようなセンスが問われているのではないだろうか
鈍感であればいくらでも鈍感になれる部分ではあるが
人類の中に一定割合で、このような問題に敏感で、感受性を持ち、謙虚な人達がいる
もう一つは軍事的な側面で、原発の存在は、必要ならば短時間のうちに兵器としての原子力爆弾が製造可能であるという
潜在的核兵器保持国ということを意味し、そのことが他国に対して抑止力になるという理屈である
また最近は他国に日本の原子力施設をパッケージで売り込もうという動きがあり、そのためにも国内での稼働維持は大切という話
また、核燃料最終処理を可能にする技術を完成させるためにも、施設の維持は必要であり、
さらには学生が原子力研究分野に就職するような環境を整えないといけないという事情もある
現状では、学生は原子発電研究を志さないだろう
絶望した上で、最終処理研究をしたいという人はいるかもしれない、必要だからという理由で
あとはマスコミ的に言えば、原子力村の利権維持
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原子力とその周辺技術については、人間がまだ手を出してはいけない、禁断の領域であり、
それは神や自然に対しての謙虚さというセンスに通じているのだと思う