“二日間ひきこもった。
私はかなり寂しがりだと思う。人と会ったり、一緒にいたりするのが好きだ。
遊びに行くのも好きだ。旅行も大好きだ。
過労でもない。ふだんから充分休んでいる。
けれどもたまには部屋の中にひきこもり、コミュニケーションを経って、視覚的・聴覚的な刺激を制限しないと、自分の中の何かが枯渇する。
ひきこもっている間は、おおむねぼんやりと機嫌が良い。そしてすぐにねむたくなる。
何をしているかというと、ほとんど何もしていない。大量の本を読むわけでもない。ふだんと同じくらいだ。音楽もあまり聴かない。
何を考えているかといえば、ほとんど何も考えていない。
ごろごろして、家事を少しして、ときどき鼻歌を歌い、食事を作って食べて、ごろごろして、目眩がするまで風呂につかり、またごろごろして、眠る。二日くらいなら、少しも退屈しない。
ひきこもった後はたいそう素敵な気分で、世界が美しく見える。外に出てみると、道ゆく人々は幸福そうで、店先の商品は綺麗で、食べ物は美味しそうだ。我ながら変な薬でもキメたみたいで少し不審だと思う。
でも世界が美しくていけないことはない。それにそんなハイな感じはすぐに薄れる。スーパーマーケットで食料品を仕入れて家に着く頃には、いつも通りに戻っている。
私はもしかするとふだん、自分の能力以上の情報処理をしようとしているのではないかと思う。労働時間は長くないし、ひとりでのんきに生きていて、親しい人がたくさんいるわけでもないので、情報量は少ないはずなんだけれども、他人と比べて少なくても、私には多いのかもしれない。
ふだん、ごく当たり前に生活しているあいだに、からだのどこかに処理しきれない何かが少しずつ溜まって、視界や思考に膜をはっているんじゃないかと思う。
それで数ヶ月に一度ひきこもって、それを消化しているのではないか。だからそれが終わると、いろんなものが明るく見えるのだ。”
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こういうのって、ドパミンセッティングが低い人で、ドパミンが過剰になったら少し引きこもってドパミンを整理して、
その後また世界に出て行けば、なんとかやっていける