人間には誰にでも躁うつの感情の波はいつでもあるのだが それを拡大して見せる生活状況があるかどうかが問題なのだろうと思う 感情のかなり安定した人でも、 たとえばプロ野球のように常に結果が数字で具体的に残る場所 学生さんのように試験があっていつも数字で評価される場所 などに置かれれば、少しの感情変動も拡大されて数字に残ることになるだろう 感情の安定しない人も生活環境が安定していて しかもその人の状態を評価する結果が出ない場所にいる人たち たとえば能力の半分も使わないで生活している人たちなどの場合には 変動

人間には誰にでも躁うつの感情の波はいつでもあるのだが
それを拡大して見せる生活状況があるかどうかが問題なのだろうと思う

感情のかなり安定した人でも、
たとえばプロ野球のように常に結果が数字で具体的に残る場所
学生さんのように試験があっていつも数字で評価される場所
などに置かれれば、少しの感情変動も拡大されて数字に残ることになるだろう

感情の安定しない人も生活環境が安定していて
しかもその人の状態を評価する結果が出ない場所にいる人たち
たとえば能力の半分も使わないで生活している人たちなどの場合には
変動があっても、自分にも周囲にも感知されることなく過ぎてしまうだろう

感情の安定度と、それを環境がどの程度拡大するかについて、両方を考察すれば、
感情障害について理解が進むかもしれない

現代生活では能力のギリギリまで発揮して仕事をする場合が多く
昔よりずっと気分変動の波が外部に知られやすくなっているのではないだろうか