“ 私は、野田さんをはじめとする政治家の中に相田みつをのファンが多いことに、強い懸念を抱く者だ。相田みつをご本人が邪悪だとか、彼の書き残した作品がくだらないとか、そういうことを言いたいのではない。ただ、政治家たるものが、自らのメッセージを発信するにあたって、「相田みつを的な手法」を用いることについては、やはり残念な気持を抱かざるを得ないということだ。 「相田みつを的な手法」とは、具体的には、「曖昧なわかりやすさ」だ。そう。曖昧なわかりやすさ。最悪のプロパガンダだ。  政治家が選挙民に伝えられるメッセー

私は、野田さんをはじめとする政治家の中に相田みつをのファンが多いことに、強い懸念を抱く者だ。相田みつをご本人が邪悪だとか、彼の書き残した作品がくだらないとか、そういうことを言いたいのではない。ただ、政治家たるものが、自らのメッセージを発信するにあたって、「相田みつを的な手法」を用いることについては、やはり残念な気持を抱かざるを得ないということだ。
「相田みつを的な手法」とは、具体的には、「曖昧なわかりやすさ」だ。そう。曖昧なわかりやすさ。最悪のプロパガンダだ。
 政治家が選挙民に伝えられるメッセージは、ごく限られている。難解な概念はそもそも理解されないし、長い構文は記憶してもらえない。錯綜した論理や持って回った表現も結局のところ、限られた少数派にしか受け止められない。
それゆえ、駅頭を通り過ぎる通勤客や、宣伝カーの窓に向かって手を振る路傍の人々に届くための言葉は、なによりもまず短くなければならない。できれば、ひとつのセンテンスに収まるサイズで、しかもシンプルで、なおかつ多義的であらねばならない。ということで、落ち着く先が相田みつをということになる。短くて、呑み込みやすくて、それでいて奥が深い。まさに相田みつをの世界だ。