“ 小麦を食べる国で育った民主主義が米を食べる国で機能することは可能だろうか。 世界地図を広げて眺めているとすぐに気が付くのは米作の国は昔から文字通り「桁違い」に人口が多いことで、米作の二大本家である中国とインドは言うまでもないが、日本というこれといった資源がない国も、あの粘り気のある米をつくる米作には適していて、西洋なら、どうやっても2千万人には届かなさそうな国土の地勢と大きさであるのに、むかしから1億人という信じがたい数の人間が住んでいるのは、要するにもともとが米作の国だからでしょう。 米作は小麦に較

小麦を食べる国で育った民主主義が米を食べる国で機能することは可能だろうか。
世界地図を広げて眺めているとすぐに気が付くのは米作の国は昔から文字通り「桁違い」に人口が多いことで、米作の二大本家である中国とインドは言うまでもないが、日本というこれといった資源がない国も、あの粘り気のある米をつくる米作には適していて、西洋なら、どうやっても2千万人には届かなさそうな国土の地勢と大きさであるのに、むかしから1億人という信じがたい数の人間が住んでいるのは、要するにもともとが米作の国だからでしょう。
米作は小麦に較べて作付け面積あたりの収量が圧倒的におおきいので、同じ土地の広さで養える人間の数がまったく異なる。
アジアと言えば、ほぼどこに出かけても人間が蝟集しているのは、米という大人口を支える作物のせいである。