疲れきっているし、精神的には睡眠が必要で肉体的には休養が必要で、今日こそはエアコンに頼らずに自然の風のなかで眠りたいと、早い時間にベッドに横になったのだが、うまく眠ることができず、手元にある何冊かの本を眺めたりしていた。
その中の一冊は「さよならまでの読書会」ウィル・シュワルビ著で、母親と息子が、母親のがんの終末期に、二人で読書会を続け、話しあい、感情の交流をするという枠組みの話である。マインドフルネスストレス低減法や内観療法が出てくる。マインドフルネス、小説に登場するなんて素晴らしい、よくやった! なんて思いつつ読む。
母親はくっきりとした意志のある人物で、難民救済活動をしていて、そのひとつとしてアフガニスタンに図書館を建設する計画を着々と進めている。他に幾つかの社会的な役職を務めている。結構偉い人だ。
有名大学や有名女子大で教師をしたり入学選考を担当したりもしている。このような偉い女史というものがどのような人物であるのか実際に知らないのでよくわからないが、日本での私の体験から推定するに、遠慮したいような方面の人ではある。なにしろこの人達は正しすぎる。
難民救援で思い出すのは緒方貞子氏である。先日NHKスペシャルのようなもので難民高等弁務官の時代を含めて再現ドラマのようにして紹介され、ご自身の言葉も語っていた。暗殺された犬養毅氏の子孫である。犬養家、緒方家とも有名な人がたくさんいるらしい。
連想すると渡辺和子氏も暗殺された二・二六事件で暗殺された渡辺錠太郎氏の娘である。渡辺和子氏の全集は読んでいるし、文庫版なども読みやすいので、三浦綾子氏の著作と同じくらいの感じでカトリック入門として考えている。
物語の母親、緒方氏、渡辺氏のグループと三浦氏の側を対比させると、学校での教育、そして家庭での教育の内容がどういう人間を作るものか、考察の対象にはなるのではないかと思う。ハイソなお嬢様はどう生きるべきか。
現代でも東京都の、教師にも恵まれた私立学校とか国立大学附属学校では、リベラルで良心的で工夫に満ちた教育がなされていると思う。一方で、さびれる一方と言われる田舎では、教育のレベルも多分落ちているだろうと思う。現代ではそれを補う形でマスメディアの発達があるのでそう悲観したものではないとも言えるが、所詮はマスコミである。
岩波文化人のような良心的知識人の系統も、ソ連からの軍資金が途絶えたからかどうかは知らないが、昔ほどの勢いはない。女子教育はたぶん、戦後憲法とか戦後教育基本法とかに大きく影響されていると思う。
「さよならまでの読書会」でも触れられているが、女性が参政権を勝ち取るまで、どんなに苦労したか、若い人は思い起こすべきだ。そして自分にできることは何か、しっかり考えるべきだ。
そのように良心的知識人階級の教師に育てられれば、たぶん、物語の母親、緒方氏、渡辺氏的な生き方になるのだろう。ラドクリフ的な、聖心女子大的な、御茶ノ水女子大的な生き方になる。
基本的な教養にも欠けて、ろくな教育も受けていない、もう一方の立場から言うと、そんな女性の生き方がしたいものなのかなあと不思議にも思える。
いや、いろいろな女性がいて、いろいろな生き方があるものなのだという結論でいいのだろう。
それにしても甲子園の準々決勝4試合はどれも素晴らしかった。日本に甲子園があってよかった。高校球児のその後なんて知ったことではない。甲子園こそが燃焼の場である。