平安宮廷文学を考えると源氏物語のようなものがなぜ存在するのか
私にはよくわからない
論理とか博識を示すには男性はもちろん漢文を用いた
しかしその重要部分はいま高校で教えられることもない
高校で教えられる漢文は古代の大陸の詩文などである
李白や司馬遷である
この部分の伝統が切れていることがまずもって大変面白い
平仮名が使われるようになって、大陸と比較されずに、自由に作文ができるようになったのだと思うが
中でも和歌は贈答や恋愛の実際の道具だったのだから
また、宮廷で出世するための道具だったのだから
大切にされたし、競いあったし、優劣を決める判定基準まで考えられたりして、大変に発達した
そして発達しきって、もう何を行っても反復、という段階になった
そして短くして俳句になったり、少しのバリエーションが出来た
枕草子は言葉の訓練としてもちょうどいいし、言っていることも特に難しくもないことで、
女子の訓練には良いものだっただろう
源氏物語はなぜあんなにもつまらなくて長いのだろう、そして難しいのだろう
あんなものを宮廷女性が愛好したとは考えにくい
みんなが文学の天才であるはずはない
源氏物語の長さと難しさは、やはりふるい落としの役目があったのだろう
物語の一節をほのめかして、それに適切に反応できる知能があるかどうかを測定したのだろうと思う
男性が史記をおもしろいと思って読み、四書五経などをつまらないと思いつつ読んだのと同じように
源氏物語を女性たちはおもしろくないけど教養だからと思って勉強したのではないか
そうした、ある程度教養のある女性に語りかけるために男性も勉強したのだろう
源氏物語は勉強のためにはよく出来ているのだと思う
映画にしてもちっとも面白く無い
筋書きと行ってもたいして起伏のあるものでもなく
ただ貴公子が次々に女性と関係を続けるだけ
発展のない話である
出産の心得とか、子育ての要点とか、実用的なことが書かれていてもいいように思うし、
源氏物語でなくても、他に何か実際的な知恵をまとめたものがあってもよさそうである
実際的な書物としては藤原定家の明月記のように、有職故実を子孫のために書いておいたものがあるが、
それは家伝である
生活の知恵とか百科知識とかDIYのような知識が書き記されなかったはずはない
それをマスターした美人がいればとても役に立つ人だったろうと思う
宮廷女官としては適切ではないか
呪いの方法とか呪いを消す方法とか、秘法が書かれていたに違いないと思う
それらが全く消えていて
源氏物語が残っているのはどうしてなのだろう
源氏物語の一部分で、呪い殺されましたと読んで、そうかそれは大切な教訓だと納得してもいいが、
大半の人は、そんな呪いがあるのか、どういうのかなと思うだろう
そう思うから読書は続くのである
ただ源氏物語を読んで、貴公子が頑張ってましたと理解して、その場面を踏まえて和歌をやりとりしたりして
という流れであれば、かんたん源氏物語とか出てきそうである
何しろ実用書なのだから、百人一首のように扱われるはずだろう
などなど考えるが、一方で、愛する人を失う悲しみとかは昔も今も同じで、
最先端の物理学を研究して、現代の無線通信の基礎を考えているような人が、
プライベートな部分での悩みは平安時代とあまり変わらず、進歩していないのも面白いことだ