我々は知性と感性の極限として学問も芸術も持つことができるのだが
衣食住とか性欲や承認欲求や愛を必要としていて
それがないときは知性も感性も犠牲にする傾向がある
つまりマズローの欲求のピラミッドの話だ
その構造に対応する脳の構造があるのだろうと思う
ーー
この場合、高次の欲求は、次元が高いとか高級とかというのもどうかと思う
どちらが暇かというに過ぎないのではないかと思う
暇がなければピラミッドの底辺のあたりを生きているし
暇があればピラミッドの頂上あたりを生きている
どちらにしてもたいした違いはない
しかし達成するに要する資源は大きく異なるだろう
食物連鎖の様子を思い出せば良い
牛肉を生産するためにどれだけの草と水と労働を必要とするか
それを考えたら人間は草を食べていたらいいような気もする
それが上品だ
野蛮なことはやめて
ピラミッドの底辺あたりを静かに歩いていたらいいのではないか
そのほうが平等な社会を作りやすくなるだろう
むしろ、平等を壊し、差異を生きることを目的とすることが、人間の性質なのかもしれない
鞄ならどれでも同じようなものだろうというのは
質実剛健な田舎人の言うこと、または、真実に到達した人の言うことであって、
ブランドの鞄がいいという一般的な同意が社会を支えているのだろう
実際、人間は嘘を作り出し、嘘を共有できて、嘘を制度化することができる
子供は果てしなくごっこ遊びを拡張する
そして、ただそれだけのことである
権力も自己実現も、経験してみて悪いものではないかもしれないが、
結局のところ、それらを否定出来るだけの強さに至らなければ、無意味だと思う
その点から言えば、最初から何も持たないことも、ひとつの恩恵である
宗教の殿堂の最奥で何が行われているのか、見ないほうが幸せだろう