“能は、人生の深淵を覗くとは何かということを問うたドラマなのである。そこにひそむ「負」をもって「再生」を誓うドラマなのだ。”
“ワキには誰もがすぐにわかる見た目の特徴がある。面(おもて)をしていないということだ。直面(ひためん)という。これはワキが現実の者であることを告げている。 これに対して、シテはたいてい面をつける。現在に生きていないというアレゴリーを象徴する。これには例外もあって、『隅田川』のシテは現実に生きている老女であったり、『敦盛』のシテのように亡霊でありながら直面であることもある。しかし、ワキは絶対に直面なのだ。これは世阿弥以来、変わらない。”
“ワキは自分が無力だということを弁えているからこそ、異様な状況と出会ったときに格別の能力が発揮できるのだと見た。”
“ワキはたしかに無力に近い者なのだ。そもそもが無名の旅人にすぎない者である。問いを発し、シテの語りを引き出したあとは、そのシテの物語を黙って聞くばかり。しかしながらそうであるがゆえに、ワキが異界や異類を見いだし、此岸と彼岸を結びつけ、思いを遂げられぬ者たちの思いを晴らしていくという役割を担う。いったい、これは何なのか。”
“一方、シテとは「仕手」や「為手」と綴るのだが、その正体は「残念の者」である。なんらかの理由や経緯で、この世に思いを残してしまった者をいう。”
“ワキは不可視の存在を観客に知らせる能力のある者なのだ。神や霊はずっとそこにいたのかもしれないが、それを見させることができるのはワキだけなのだ。ワキにはそうした異界とのミスティック・ルートを辿れる能力があるらしい。”