初期の資本主義はたしかにプロテスタンティズムとうまく馴染んで
質素倹約で資本を蓄え、それを設備投資に回し、というように進行したのだろう
しかし現代のように欲求が充足した社会で
欲しいものは、みんなが持っているものから
誰も持っていない希少なもの、
さらには希少な体験と変化していくと
質素倹約では困難がある
資本自体は質素倹約で無駄を切り捨てることが必要なのだろうが
消費者は「無駄遣いが大好き」でないと
経済が回らない
経済運営者の本音で言えば、給与所得者は貧乏なままでいいし、質素倹約でいいので、
貯金のある人はどんどん使ってくれればいいのにと
思っているのだろう
しかし金持ちで年金を受給している層は
無駄遣いしないらしい
振り込め詐欺のようなものに引っかかることが出来るだけの当座の資金を持っているようだ
この人達に無駄遣いをしろという社会はやはりおかしい
遺産相続の制度をいじったらどうかという話もおかしい
若者にお金を健全な程度に消費して欲しいが、この人達は給料がない
若い人に給料を払うために何か無駄遣いをしそうなものを開発したいが何も思いつかない
うっかり給料を上げると製品やサービスの値段が上がってしまい
他の会社にまけてしまう
国内生産ならばまだ打ち合わせもできるが海外からの製品だとそれもしにくい
昔はいろいろな手で価格を高止まりさせていたものだけれど、いまはそうも出来ない
たとえばマ・マースパゲッティがイタリアのブイトーニの輸入代理店も兼ねればマ・マーの競争相手にはならず住み分けができた
給料が安い、値上げができない、という図式だが
庶民にとってはこれでも不満はないと思うが
値上げ以上に給料が上がり、物価を比較すると昔より裕福になったというような時代が今後来るとは思えないのだが
悲観的すぎるのだろうか
悲観論に支配されて貯蓄するから楽しくない、楽観的になって無駄遣いしなさいと命令されているような気がする
コマーシャルされているものの大半が「無駄使い」ではないかと思う