私はここで、世界と世界の象を考える。 世界に対して働きかけて、その結果を人間の感覚は受け取る(A)。 また、「人間の脳の内部にある世界の象」に対して同じように働きかけて、その結果を人間の「内的感覚」は受け取る(B)。 ここでは、運動神経を通じての外部世界への出力と同等の出力を、脳内部の世界の象に対して出力しているのである。 この、AとBの時間差を考える。 脳の中の、比較照合部位に到達する時間が Bが早く、Aが遅いのが人間の通常の姿である。ここに人間の自意識が発生し、特に自意識の能動性が発生する。 Aが早く

ウィトゲンシュタインは「論理哲学論考」という本で「アプリオリな総合」という認識を認めず、人間は世界の像を作ることによって世界に到達できるとした。
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私はここで、世界と世界の象を考える。
世界に対して働きかけて、その結果を人間の感覚は受け取る(A)。
また、「人間の脳の内部にある世界の象」に対して同じように働きかけて、その結果を人間の「内的感覚」は受け取る(B)。
ここでは、運動神経を通じての外部世界への出力と同等の出力を、脳内部の世界の象に対して出力しているのである。
この、AとBの時間差を考える。
脳の中の、比較照合部位に到達する時間が
Bが早く、Aが遅いのが人間の通常の姿である。ここに人間の自意識が発生し、特に自意識の能動性が発生する。
Aが早く、Bがそれに遅れると、能動性は消失し、「させられ体験」となる。また、遅れが小さい場合には、強迫性体験、自生体験などとなる。
AとBが全く同時である場合、能動でもない、被動でもない事態が発生する。

個人的にはA=Bのタイプの体験を悟り体験の一種としていいと思うのだが、
悟り体験とは何かを定義すること自体が一仕事なので、
ここでは個人的にそう思っているというだけにする。

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というようなことを考えつつ、スーパーを一周りしていたら、豚のヒレブロックが700円くらいの正価が消されて、5割引きになっていた。買うことにしてかごに入れ、くるみ食パンを入れ、さらに砂糖を使わないでいちごだけで作ったジャムをかごに入れた。家に帰って豚ヒレブロックを切り、塩コショウをしてフライパンで焼き始めた。待っている時間にイチゴジャムと、冷蔵庫にあったガーリックマーガリンを並べて、まずイチゴジャムを塗ろうとした。そこで気がついたのだが、食パンには黒いごまが散らばっていて、くるみパンではなくごまパンだった。実際にはくるみパンとごまパンが一列ずつ隣り合って並んでいたのだが、私はくるみパンが二列並んでいると思ったということらしい。ごまはごまで好きなので食べてみるが、食パンに入っているのではあまりごまの香ばしさはない。イチゴジャムも先日食べたルパーブとイチゴによるジャムのほうが複雑な味わいがあって良いような気がする。砂糖を使わないけれども甘すぎる。などと思っているうちに、沖縄で米軍ヘリコプターが墜落事故を起こして、昼には白煙を上げて燃え、現在乗組員3名が救助、うち1名は重体、残り1名は未発見との事だった。墜落したのはオスプレイではなく旧型のヘリコプターで、墜落したのは米軍基地内の演習林との事だった。「最悪のことは必ず起こる」というのが定理だが、最悪でもないがかなり険悪なことが起こったものだと思いつつ、先日の自民党副総裁麻生氏のナチスを引用しての「ほぼ最悪に近い」発言といい、暑い夏でどうかしているんだろうと思っていたら、部屋が煙で満たされ、フライパンの中で豚肉が少し焦げていた。肉は焦げたくらいのものが美味しいこともあると思いながら食べた。なるべく脂を落とすような焼き方をしたので少しぱさついた味わいだ。一方、ガーリックマーガリンはやはりすこし塩がきつい。ここで書いていて気がついたが、薄く塗ればいいのか。