冪集合の冪集合を更に重ねて考えると、カントールによる無限が、正しく無限に広がり、その「楽園」が完成する。
しかし、楽園の誕生とともに、この無限の底なしの広がりを「実在」したものととらえること自体が許されるのかという問題が現れてくる。それが、「カントールのパラドクス」であり、「ラッセルのパラドクス」であり、「ゲーデルの不完全性定理」である。
カントールのパラドクスとは、「全ての集合の集合なるものが存在し得るか」というものである。
「全ての集合の集合」などというものが存在し得るのであれば、この集合Xはあらゆる集合のなかで最大の濃度を持つはずである。しかし、このXも集合である以上その冪集合を採ることが可能なはずである。そしてその冪集合はXよりも高い濃度の集合になるはずである。これは、Xが最大の集合であることと矛盾しているので、Xは存在しえない。
集合論が矛盾を含んでいることになる。
また、「全ての集合の集合」の補集合は空集合であるはずだが、空集合は「全ての集合の集合」に含まれるはずのもので、この形でも矛盾は証明できる。
この先は可能無限と実無限の話、つまり、0.99999・・・<1なのか0.9999・・・・=1なのか、挟んで、
ウィトゲンシュタインの「6・031 集合論は数学では全くよけいである。」となる。
ウィトゲンシュタインの「6・031 集合論は数学では全くよけいである。」となる。