「5.62 独我論の言わんとするところは全く正しい。世界が私の世界であることは、この言語の限界が世界の限界を意味することに示されている」
「5.621 世界と生は一つである」
「5.64 独我論を徹底すると、純粋な実在論と一致する」
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更に飛躍すると、
純粋な実在論は、生存競争に勝ってDNAを残す実在論と一致する。
女にとっての純粋実在論は、勝った男性のDNAを残すことである。一緒に戦って勝つことではない。一緒に戦って勝ったとしても、それがよいDNAだとはいえない。あくまで、よいDNAを選ばないと意味が無い。
男にとっての純粋実在論は、環境に適合したDNAであることを証明することである。単にそのときの環境に偶然適合しているだけであるから、いいことなどひとつもないが、それが価値だと思う人もいるということだ。
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それは冗談としても、
純粋な実在論を生きている、ミジンコのような生物と、
独我論や意識の介在する世界を生きている神経系のある程度発達した生物との対比はどうだろう。
たとえば、有名レストランの特別メニューだといってありがたく、くだらない食材を食べている人たち。純粋実在論で言えば、安い肉とたくさんの調味料と宣伝費である。意識としては、この世の幸福であるはずの美味である。
しかしながら独我論を徹底すれば、純粋実在論と一致するのである。一致しないのはただ、唯我論が徹底しない、意識の働きが中途半端な場合なのである。