ふとした瞬間に昔の場面が鮮明に蘇る
映像であったり、香りであったり
あるいは文章の形のこともある
年月がたてば自分に寛容になるものなのか
体験に伴う痛みの程度は少なくなるように思うし、思い出した時からまた忘れるまでの時間も短くなるようにも思う
世界を知ると
自分の人生もその平均に近い部分のものであったと悟ることができるし
不運もまた通常程度の不運であったと理解することができる
偶然に意味などなかったことも、いまなら普通の心で受け入れることができる
要するに自分はもっと前に進みたいとずっと思っていたのに
前に進む方向も道もよく理解していなかったことになる
いくつかの場面は美化されたまま封じ込められている
また逆に許せない怒りの場面というものも少なからずある
そのときそのときを懸命に生きてきたことは確かだと思う
懸命だったが外部にはそうは見えなかった理由もまた説明できるようにも思う
不思議な感じの、面倒くさい人生である
世間が期待することと自分が希望することとの差は常にあったと思う
その差をつねに自分一人で引き受けて行かなければどうしようもないのだと理解していたと思う
いま私はヘンリライクロフトの手記の文章の意味がよくわかるが
そこを一歩出て、自分の後継者を作りたいと真剣に考え始めている