“ 集団主義はお互いの信頼がなければ成立しない、と多くの人は考えるでしょう。ところが、集団主義社会は本質的に信頼を必要としないんですよ。  ―― どういうことでしょうか。  山岸 かつて存在していた僻地の農村を思い浮かべてください。貧しく、住民の数も少ない農村では、農作業1つを取っても、皆で協同作業をしなければなりませんでした。住民は皆顔見知り。戸締まりをしなくても泥棒に遭う心配もありません。住民も一人ひとりのわがままは主張せず、村の利益に沿って動く。まさに、集団社会の典型でしょう。 農村で鍵をかけ

集団主義はお互いの信頼がなければ成立しない、と多くの人は考えるでしょう。ところが、集団主義社会は本質的に信頼を必要としないんですよ。
 ―― どういうことでしょうか。
 山岸 かつて存在していた僻地の農村を思い浮かべてください。貧しく、住民の数も少ない農村では、農作業1つを取っても、皆で協同作業をしなければなりませんでした。住民は皆顔見知り。戸締まりをしなくても泥棒に遭う心配もありません。住民も一人ひとりのわがままは主張せず、村の利益に沿って動く。まさに、集団社会の典型でしょう。
農村で鍵をかけなくても済むのはなぜか?
 ここで考えていただきたいのですが、なぜ農村では鍵をかけなくても済むのでしょうか。なぜ文句も言わず、協同作業に参加するのでしょうか。いろいろな理由が考えられますが、1つ言えることは、農村という閉鎖的な社会では、悪事に走ったり、他者に対して非協力的な態度を取ったりすることが自分自身のマイナスになるからでしょう。
 泥棒に入ったことがばれたり、疑われたりしてしまうと、村で暮らしていけなくなりますよね。農作業に協力しなければ、自分の時に手伝ってもらえない可能性もある。だからこそ、村人は協力的な対応を取るわけですね。お互いを信頼しているから鍵をかけない、とは必ずしも言えません。