“最近、「自分との戦い」という言葉に妙に違和感を覚える。 他人は関係ない、自分と戦うんだ、と言うとなんだか美しい事のように聞こえるし、世間はとりあえず納得するんだけど。 自分を敵とみなして、弱い自分をこてんぱんにやっつける。 それってホントに美しいんだろうか? 一体いつまで戦いは続くの? 僕はですね、ダメなとこもひっくるめて、まず自分を引き受けるところから始めなきゃって、今は思ってる。 まずは天から授かった自分自身を、そのまま受け取る、話はそれからだって思います。  ・・・って、もう35歳だ

“最近、「自分との戦い」という言葉に妙に違和感を覚える。
他人は関係ない、自分と戦うんだ、と言うとなんだか美しい事のように聞こえるし、世間はとりあえず納得するんだけど。
自分を敵とみなして、弱い自分をこてんぱんにやっつける。 それってホントに美しいんだろうか?
一体いつまで戦いは続くの?
僕はですね、ダメなとこもひっくるめて、まず自分を引き受けるところから始めなきゃって、今は思ってる。
まずは天から授かった自分自身を、そのまま受け取る、話はそれからだって思います。 
・・・って、もう35歳だけど。
話は変わるけど、日本にいて漠然と感じる窮屈さの正体をひとつ突き止めました。
それは「謙虚さ」の解釈。
日本人は世界的に見て、とっても謙虚で礼儀正しく、高いモラルを持った(団体になると別)、素晴らしい国民。
でも、謙虚という意味を少し取り違えてる気がする。
それは自分の中にもある感覚だから良く分かるんだけど、どうも僕らは「自分は大した人間じゃない」と信じ、アピールすることが謙虚さだと思ってる節があります。
だから自信たっぷりな人や、物をはっきり言い切る人は傲慢だと言われる。 
で、お互いに足を引っ張るから自分の能力を出し切れない。カラーを出し切れない。
それがとても窮屈。
でも、僕が思うに、本当の謙虚さとは、自分が持っている能力をフルに開花させて、咲き誇ることだと思う。
この世に生を受けた以上、自分を全うする人こそが謙虚なのだと思う。
誰かからプレゼントをもらったとします。
それを感謝して受け取り、大切にする人。
僕なんかにもったいない、と言って開けもせず、中身を腐らせてしまう人。
どっちが謙虚でしょうか?
人生はきっとプレゼントのようなものだから、感謝してそれを受け取り、思い切り開花させたい、と今強く思う。
欧米人はその辺がとても上手。
社会的にどんなに貧しくても、弱者でも、絶対に自分を卑下しない。
どんな職業に就いていてもみんなプライドを持って堂々と生きてる。
おそらくそこには宗教性が深く関わっている気がします。
彼らは、一人ひとりが神の子で、神から愛されているんだ、という意識がある。 だから自分を信じる力が強い。
スペインのヒターノも、どんなにドラッグ中毒のコソ泥であっても、自分は神様に愛されてる、と信じてた。
その強さが大きな差になる気がする。
その強さがあってこその、あの強烈なフラメンコなんだと思う。
もっとも、宗教の怖さも僕らは良く知ってる。
権力と結びついたときの宗教は、怖い。
多くの戦争の歴史、政治に使われた宗教、また新興宗教が暴走した時の怖さ・・・
だから僕も、多くの日本人と同じ無宗教な訳ですが。
でも、僕は35歳の今になって、自分は天から愛されてこの世にいる、と信じてみようと思いました。 
ギターを弾く上で、そう信じないことにはこれより先には進めない気がするんです。  
自分なりに謙虚さを突き詰めた結論だし、目まぐるしく変化するこの世で僕の信じる音楽を奏で続けようとすると、どうしてもそこにぶち当たるから。 
音楽の価値は世間が決める、というのはある意味正しいけど、揺るがない価値を見出すことで、全力を出し切れる気がするから。
ただ、宗教という形に頼らずにそれを信じるのは、どうやらとても大変そうです。 信じるというよりも、認めるという感覚なら少し分かる気がする。
まだそんな段階ですが、これが今の自分のテーマの一つです。”