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ベネディクト16世がきのう、日本人の少女からの「なんでこんなに悲しいことにならないといけないのですか」という問に「答えは見つかりません」つまり「わかんない」と答えた。この答えに、俺は衝撃を受けた。世界の宗教界の最高権威が「なんでかわかんない」つったのだ。
「わかんないって!あんたローマ法王だろう!」って衝撃を受けたんじゃない。「解らないことをわからないと言った」ことに衝撃を受けたのだ。正しくて、人間的で、素晴らしい答えだ。だってわかんないんだもん。そして法王はこうも言った。
「私も同じように『なぜ』と自問しています。答えは見つかりませんが、神はあなたとともにあります。この痛みは無意味ではありません。私たちは苦しんでいる日本の子供たちとともにあります。ともに祈りましょう」(読売新聞)「わからない」ということを認めた上で、ローマ法王は連帯を示した。
俺は不可知論者だが、「聖職者には聖職者の役割がある」と思う。かれらが神の子かどうかは知らない。人間としての役割だ。正直、ローマ法王がこの質問の答えで「役割」を果たせているのかはわからない。ただ、彼が自問し、その上で「わからない」と答えた事は、ものすごく大事なことだと思う。
ローマ法王なら「これは神が与えた試練です」みたいなことを言うのかと思ったんだけど、そうじゃなかった。「わからない」ということを認めた上で、人としてどうあるべきか。聖職者は祈り、作業員は復旧をし、かーちゃんは子供を育てるのだ。じゃあ、俺は何をするのか。やれることはまだまだある。
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