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自己利益よりも公共の福利を優先的に配慮する「大人」が一定数いなければ、社会は保ちません。
今の日本のすべての制度劣化は「大人がいなくなった」ためだと私は思っています。
でも、今のような危機的状況が続けば、どこかで誰に言われなくても、「せめて私だけでも大人にならなければならない」と思う若者たちが散発的に出てくるはずです。
それは自分のまわりで「いじめ」が行われたときに、黙って立ち上がって「やめなさい。それは人間として恥ずかしいふるまいだ」と言えるよう若者というかたちで現れるはずです。(そのような若者は年齢がどうであれ、もう「子供」ではありません。それは「青年」と呼ぶべき存在だろうと思います)。
そのような若者たちを支援する体制がいまの学校には存在しませんし、教育行政もそのような若者の育成には一片の関心も持ちません(彼らが欲しがっているのは、「グローバル人材」のような「能力が高くて、賃金の安い、規格化された労働者」だけです)。
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