クリニックには 認知行動療法の専門の人が数名、 ユング派一名、精神分析派一名、対人関係療法一名、 ロジャーズ派数名、という構成である。 この環境では、薬物療法を採用するかどうかは精神療法と独立にも決められるが どの精神療法を選択するかはかなり大きな問題になる 今までの経験で、このタイプはこの流派というあたりは実際にはあるので 深く迷うことはないのであるが、 考えなおしてみると、そのような判断があるということは、 その根拠があるはずで、どのような根拠なのかと反省すると、根拠としては弱いと思われる それ

クリニックには
認知行動療法の専門の人が数名、
ユング派一名、精神分析派一名、対人関係療法一名、
ロジャーズ派数名、という構成である。

この環境では、薬物療法を採用するかどうかは精神療法と独立にも決められるが
どの精神療法を選択するかはかなり大きな問題になる

今までの経験で、このタイプはこの流派というあたりは実際にはあるので
深く迷うことはないのであるが、
考えなおしてみると、そのような判断があるということは、
その根拠があるはずで、どのような根拠なのかと反省すると、根拠としては弱いと思われる

それぞれの流派で、他流派でできることは、自分の流派でも全部出来ます
というようなことをだいたいは言っているのだけれども、
それならば何も流派というほどのことはないだろう

合理的で説得力のある根拠に基づいてどの精神療法ができしているのかを
判別したいのだが、今のところ、難しい

ところが実際の場面では、あの治療者と合いそうだなという勘は働くものなので
困ることはない

むしろ、治療法を選択していると言うよりは、人格的な相性を選定しているのかもしれない