折衷主義と一段高い次元の理論が必要であること

一人の患者さんがいて
その人に
薬物療法もやるし
認知行動療法もやるし
家族を交えて話し合いもして家族療法のようなこともやる
会社に対しては環境調整をお願いする
過去のトラウマがあるようならそのことを治療で取り上げることもある

これは無原則な折衷主義なのだろうか
できることはとりあえずなんでもやりましょうという態度なのだろうか
それとも必要だからやっているのだろうか

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薬物療法をきちんとやっていれば
あとは時間が解決するという態度はある

それは根本が脳の神経細胞の不調であるとの仮説に基づく

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認知行動療法で対処しましょうという場合、
神経細胞の特性の問題と言うよりは
個々の神経細胞は問題ないのだが
その関係の仕方に問題があると見ていることになる
その場合は薬物療法は適さないことになる

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薬物療法と個人精神療法と環境調整と次元の違うものとして
それぞれをどのようにミックスすべきなのか
あるいはミックスする必要のないのものなのか

そこのところはよく考える必要がある
そしてよく考えるなら、それらを一段高い次元で統合する理論があるはずである

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個人精神療法の内部でも、認知行動療法と対人関係療法と、場合によっては
精神分析や内観や森田やロジャースの関係をどう整理していくか、
一段高い次元の理論がないと
「使い分け」ができないことになってしまう
 
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極端に言えば、治療法の数だけ、病因仮説があるはずだ
それをすべて肯定するのだろうか

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しかしまた、こういう事情もある
最初の原因がどの次元のものであったとしても、
時間が経てば、いろいろな影響を別の次元のものにも及ぼし、
結局、多次元的な治療が必要になる

神経細胞の不調があれば
行動や思考の変調になるし、
そうなれば対人関係を損なうことになる

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