国のために生き、国のために死ぬという価値観を
語る人がいるのだが
この状況でいまさら語っていることが興味深い
人間にとって自然な集団は第一に血縁だろう
だんだん範囲を拡大していくと
現代では当然人類全体という概念になるはずだろう
ところが個人と人類全体の中間的集団である国家が強調される
これは政治家や官僚の権力の範囲が国家であり
教育の単位が国家であり
軍隊の構成単位が国家であるからなのだろう
それは制度の必然であって
それは理由としてはつまらない
個人が権力の源泉であるなら
個人の集合が構成する権力は国家にかぎらず多様であっても良いはずだ
しかし現実には国家の価値が優位に立っているようだ
国家のために生きて死ぬことが論じられていると同時期に
会社での公用語を英語にするなどの動きがある
またTPPでは国家主権を制限する条項があるのは問題だと論じられている
ユーロでは国家主権を譲り渡す形で共同体を作っているので
TPPではユーロをモデルに考えているのかもしれない
現在宣伝されているのは関税がどうとかのことで
それならば単純に二国間で関税の協議をすれば良いだけだろう
一票の価値の平等が報道されているのだが
人類規模で見て、一票の価値の平等を否定しているのが国家主権かもしれない
学者はいろいろな理屈を構成して現実の権力を追認したりするのだが
どう見ても過渡的なものでしかないことは明らかだろうと思う
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話が拡散したが
国家の価値を論じるならば
その前提として家族の価値が強調されて良いと思う