知の世界、笑って揺らした 山口昌男さんを悼む 人類学者・中沢新一  私たちの世代にとって、山口昌男はじつに偉大な解放者だった。1970年代、世の中ではきまじめであることが美徳とされ、自分のしていることは正しいと誰もが思いたがっていた。その時代に山口昌男は知識人たちに向かって、そんなつまらない美徳は捨てて、創造的な「いたずら者」になれ、と呼びかけたのである。  その呼びかけは、硬直した左翼思想にうんざりしていた多くの若者の心に確実に届き、「いたずら者」のイメージ(それを山口昌男はしゃれて「トリックスター

知の世界、笑って揺らした 山口昌男さんを悼む
人類学者・中沢新一 
 私たちの世代にとって、山口昌男はじつに偉大な解放者だった。1970年代、世の中ではきまじめであることが美徳とされ、自分のしていることは正しいと誰もが思いたがっていた。その時代に山口昌男は知識人たちに向かって、そんなつまらない美徳は捨てて、創造的な「いたずら者」になれ、と呼びかけたのである。 
 その呼びかけは、硬直した左翼思想にうんざりしていた多くの若者の心に確実に届き、「いたずら者」のイメージ(それを山口昌男はしゃれて「トリックスター」と呼んだ)は、たちまち知的世界の流行になった。文化人類学という戦後にアメリカから輸入された新しい学問までがその影響を受けて、哲学にかわって知的世界の前線を開く、ずいぶんとかっこうのよい流行の学問になった。 
 山口昌男の大胆不敵な行動力には、もっと驚かされた。北海道生まれの彼は、土地の呪縛からも十分に解放されていて、アフリカでもメラネシアでもヨーロッパの片田舎でも、世界中どこへでも平気で出かけていき、土地の人たちとも世界の知的巨人たちとも、まったく物怖(ものお)じすることなく、対等に渡り合うことができた。 
 相手がレヴィ=ストロースだろうがロマン・ヤコブソンだろうが、あの恐ろしい発音でまくしたてる英語やフランス語で、堂々と対話や論戦を申し込んだ。すると知の世界の巨人たちは、その自信たっぷりの勢いに気おされてか、喜んで胸襟を開いたのだった。この点でおよそ日本人ばなれしていた山口昌男の辞書には、「コンプレックス」という言葉はなかった。 
 とにかくよく笑う人だった。とりわけアカデミズムの権威などを前にすると、ますますよく笑い、からかい、そのために相手を怒らせることもしばしばだった。笑う山口昌男のまわりで、世界はいつもダイナミックに揺れていた。 
 世の中が安直な笑いであふれかえり、矮小(わいしょう)化された「いたずら者」が跋扈(ばっこ)する時代になると、さすがのこの人も不調に陥った。ところがしばらくすると、今度は「敗者」に身をやつして再登場したのにはたまげた。負け組のほうが豊かな人生が送れるぞ。マネーや力の世界への幻想を嗤(わら)う、なんともエレガントな闘いぶりであった。 
 こんなわけで、山口昌男は私にとって、まさに一人のモーツァルトであったのだ。「サリエリにはなるなよ」との師の遺訓にしたがって、私は青空のような素直さをもって、この知のモーツァルトの人生の航跡を誉(ほ)め讃(たた)えようと思う。山口さん、またどこかでお会いしよう。 
朝日新聞デジタル