いじめに対する即時的直接的抑止力

現代ではネットで悪口を書かれて被害を受けているとか
メールなどで悪口を拡散されて困っているとかの悩みも少なくない

人間の脳の一部には順位制動物の習性が残っていて
権力への欲望があり、
集団内での順位を確保しておこうというのは本能のようなもので
フェアな方法でかなわないときには
裏の方法で順位をあげようと試みることになる

いじめなどの背景には
いじめる側の心の不幸が観察されることもあると思うが
まず、上記のように、優越する、劣等するの順位ぎめは本能のようなもので、
だから、親分子分の盃をかわすとか昔から言われる

しかしながら、動物の場合、順位決定の戦いはあるが
それはかなり儀式化していて様式化している
羽根を広げてどちらがきれいかを比べるとか
鳴き声を競って優劣を決めるとか
およそ命には関わりのない戦いのようだ

人間の場合には次々に新しい攻撃の様式を考えだすので
抑制が効かなくなることがある
また記憶力がいいので、根に持つこともあり、それならいっそ、抑制などしないほうがいいという側面もあるのだろう

そんなわけで、哺乳類には珍しい、
ヒト同士で殺しあうということがずっと昔から行われてきたらしい
遺跡が発掘されて人骨が出てくると
たぶん他人からの攻撃で受けたダメージではないかという痕跡が発見されたりすることが少なくない

しかし人間には文化があり、
強い個体が弱い個体を守ると、そこで人望が生まれ、リーダーとして認められたりする
弱肉強食で勝つのは条件であるが
その上で、弱者に自分の食料や財産を分け与えることが、周囲の人々を感激させる
それはたしかによい「保険」となるのだ
人間は怪我をするし病気にもなる
そのときに死んでしまうよりは
心の温かいリーダーのもとで
生き延びたいと思うだろう

また、戦うけれど、命には支障のない範囲でやめることが制度化されている

ーー
新しい攻撃方法が登場する時、抑制法が未発達のままで、
攻撃する側もされる側もどうしていいかわからない場面がある

刀が登場した時、ピストルが登場した時、核兵器(これは大規模であるが)が登場した時、
それぞれに戦いは変質したと思う

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ネットいじめでよく言われるのは陰湿だということだろう
たしかに陰湿であって、いじめている側を誰も立派とは思わないが、
そうした悪い自己イメージを広めて、いじめる側の本人に何の得があるかといえば
あまりないだろうと思うがどうなのだろう
いろいろな人がいるのだろうから、そのようないじめを素晴らしいと思う人もいるのだろうか

その点ですでに利益のない行為だと思うのだが
その点については妄想ということもあるのでいろいろな行為がありうるのだと置いておくとして、
いじめられた側に防御の方法がないということも難しい事態を引き起こしている
調べれば犯人はわかるとして、抑止力というものは、そういう事後的なものでは不足だろう

この辺りについては、人間に第二の本能が育ち、
即時的な抑止力が発生するようでなければ、いろいろな不幸は続くのだろうと思われる

学校でいじめが発生、ネットでいじめが発生したとして、
それに対して親や周囲に何ができるかというと
大変難しいことではある

この点では人間の本能は完成されていない